鹿島美術研究 年報第1号
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在が最初に確認されたのが,呪誼的力を有すると考えられている「眼」を装飾画に持つ「眼の杯」であり,また聖城への入口に当たる神殿正面の空間であったこと,更にはその比が不思議な力を有すると考えられていた正五角形とその対角線により構成される星形の核をなす小さな正五角形の間の関係に見出されることから,当時何らかの重要な意味合いがあったことが窺われるに至ったのである。さて,1対0.38なるプロポーションは,これまで見てきたように大変興味深く,且つその陶工への影縛力は絶対的と言えるほどに強力であったが,こうした傾向に背を向けた作陶家が2人あった。エウフロニオスとピュトンである。表2,3に明らかなように,エウフロニオスは作陶経歴の初期に,またピュトンは40年に渡る長い経歴の全べての時代に,「カノン」とも呼べる1対0.38の比率を無視して杯を製作したのである。古代ギリシアやエトルスクでは,杯がシュンポシオンの場で使用されない時,壁に掛けて保管されていたことが,陶器上の絵画や地下墳墓の状態から知られている。そして,画家が杯外面に装飾を施す時留意したのはこの状態での構図であり,同じく作陶家にとっても杯を製作する上での重要なポイントがここにあったと思われる。何故なら,杯の脚部台の「AZ」,「AY」から「B」型への変化は内面を中心にしているからである。杯の脚部台の大きさは絵画に直接に影騨する。杯の外面画は円盤形の脚部を巡る輪を内円として,ドーナッツ状の画面を構成するからである。そして,動きが激しく且つ物語性の高い絵には,人物像の足場となる内円はやや大きくなることが要求される。この際,脚部台直径と内円の間に差があり過ぎると,両者の間に黒い空間が残り,面は間延びした印象を与える。エウフロニオスが自作の杯の脚部台を,カノンを破り大きめに作った理由は恐らくこの辺にあったと思われる。そして,自己の意志を最後まで貫き得なかったとは言え,杯画の効果にこれ程留意した彼の製作態度は同時に,もう1人のエウフロニオス,つまり画家として活躍したエウフロニオスと彼が同一人物であった可能性を強〈示唆している。他方,杯の脚部台が小さく,しかも杯の外面全体を装飾しようとする時,当然内円は極端に小さくなる。小さい内円を足場とする人物像は,重なり合いあるいは放射状に描かれることになる。その結果,絵画は形式化しリアリティーを失う反面,装飾性は著しく高まる(図2)。また,小さい内円に絵を画く場合,杯の両把手の回りに大き85

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