(1) 逸翁美術館館蔵品調査の場合(3) 小石家蔵品調査の場合逸翁美術館は小林一三翁の蒐集品を母体として成立した美術館で,戦前に確立されたコレクションの典型的な例である。この種のコレクションの中で,円山四条派絵画がどのような位置を占めているのかを窺うことは,きわめて興味ある点であったか‘,調査の成果は非常に実り多いものであった。まず,円山四条派の作品が,予想外に幅広く蒐集されている点である。応門十哲の中に数えられ,応挙の伝記を書いた人物としてその名を知られながらも,その作品を目にすることのきわめて稀になってしまった奥文嗚の作品や,また,応挙が好んだモチーフである孔雀を描いて,応挙とは,はっきりと個性の違いを見せる芦雪の作品をはじめ,源埼,山口素絢,応瑞,応震など,多彩な作品の存在を確認することができたと同時に,確立された応挙様式が,それを受け継いだ弟子達の個性に従って,さまざまに展開して行く様が非常に明確に浮き彫りされる。しかし,この調査で我々を驚かせたのは,円山応挙の「雪中松樹図」であった。国宝「雪松図」と全く同じ構図をとる本図の存在は応挙の絵画制作過程に関する問題や,モチー會フの問題,空間表現の問題など,応挙様式の確立を考える上で,非常に重要な問題を投げかける作品であった。(2) 洛東遺芳館館蔵品調査の場合洛東遺芳館は,江戸時代,京において,紙及び漆器の問屋として栄えた,典型的な町衆であった柏原家の蔵品を母胎とするものであるが,ここでも円山四条派関係の絵画は,かなりの数にのは‘った。京の町衆と円山四条派は切っても切れない関係にあり,いわば円山四条派の支持母胎であったが,柏原家もそえられる。派関係の作品が比較的地味な中にも質的によくそろった水準を保っており,いかにも円山四条派の活躍の地盤を支えた町衆の姿を初彿とさせるものかある。京の蘭方医であった小石元俊の家に代々伝えられた作品で,中でも「解剖図」は,当時一つの流行を見せた人体解剖と,その記録を依頼された円山派画家との関係を如に物語るものとして注目に値する。それは同時に,円山派の絵画表現における姿勢を決定づけるもので,対象の見方とその表現技法がきわめて特異なものであったことに余る作品の調査をして気付くことであるが,ほとんどの円山四条を担ったものであると47
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