鹿島美術研究 年報第1号
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2)抽象的小像圏の拡大7,000年紀から前2,000年紀初頭までのアナトリアの小像の展開には,前5500年頃,前5000年紀中頃,前3000年紀初頭,前2300年頃という4つのターニングポイントが前3000年紀中頃までは,中央アナトリアや東部アナトリアの小像と,西部・西南れている石板などから,このことと,抽象的形態の小像の出現とは無関係ではないだろう。この後,前5000年紀及び前4000年紀には,アナトリアではほとんど小像の発見はない。この空白期を経て,前3000年紀の初期青銅器時代になると,抽象的形態の小像がアナトリア全域に見出されるようになる。初期青銅器時代に抽象的小像を出土している代表的遺跡は,西部ではトロイ(troy),デミルジフュック(DemirciHtiytik), ババキョイ(Babakoy),ベイジェスルタン,セマユック,中央アナトリアのアリシャール(Alisar),ビユックグュレジュック(BtiytikGtilectik),アラジャホユック新石器時代から初期青銅器時代まで,もしくは中期青銅器時代初頭まで,即ち前ある。先にも指摘したように,ハジュラルにおいて,前5500年頃,具象的な形態から抽象的な形態への移行という大きな変化が認められる。しかし,考古学的調査かまだ完全でないことによるとも考えられるが,金石併用時代の小像は,新石器時代の具象的形態の小像と同様に,点在的で,各々の遺跡で各々に考察されるべき性格をもっているようである。遺跡ごとに孤立して把えるしかなかった金石併用時代以前の小像に対して,前5000年紀中頃から前4000年紀末にかけての空白期間を終て,前3000年頃に非常に抽象化された形で再び現われる小像は,西及び西南部アナトリア,中央アナトリア,東部アナトリアというほぼ3つの大きなグループとして把えることができる。初期青銅器時代の最も抽象的な形を,前3000年紀中頃のベイジェスルタンやセマユックに見出すことができることからも明らかであるが,特に西部・西南部アナトリアにおいて抽象化もしくは便化の傾向が顕著である。これらの小像群は,エーゲ海諸島の小像群と比較検討しながら把えなければならない。部アナトリアの小像とはやや趣を異にしているが,前2300年頃になると,アリシャール等の中央アナトリアの小像と西部のババキョイ等の小像が,形態や装飾においを使用し得た社会であったと推測される。そして(Alaca Hoytik),東部アナトリアのテペジク(Tepecik),ノルシュンテペ(Norusunte-pe),コルジュテペ(Korucutepe)等である。-51

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