鹿島美術研究 年報第1号
70/110

2.具象から抽象へという形態の変化は,小像の機能の変化を伴うものであったの3.前5000年頃から前3000年頃までの全アナトリアにおける文化的空白は,何を意て類似するようになり,さらには北シリアやイランに至るまでの類縁関係が見出されるようになる。前3000年紀における小像の類縁関係の地理的広がり,もしくは小像圏の一元化の傾向は,おそらくアッシリア商人の商業活動も含め,この時期にアナトリアに出入りし,あるいは通過した諸民族に負うものであろう。上述した前3000年紀後半のほとんどの小像が東西の流れを示唆しているが,その中で,アラジャホユックの小像群の独自性が特筆される。アラジヤホユックでは,金製品やスタンダード等の遺物について,北方のコーカサス地方との影縛関係が言われているが,小像についても東西ではなく,南北の関係が推察される。本研究が意図していることは,個々の小像がどのような杜会的コンテクストの中で制作され,使用され,そして廃棄されたのかということを洞察することである。しかし,その準備段階として収集した資料を整理することにより,時代を追って拡大する文化園と,歴史的にも議論の多い錯綜する初期青銅器時代の諸民族の流れが浮かび上がってきた。同時に,以下のような問題が未解決のまま提起された。1.新石器時代の具象的形態から金石併用時代の抽象的形態への変化の要因は何であったのか。か。それとも,機能の変化が形態の変化をもたらしたのか。味するのか。以上の問題を解決することが,当面の課題となった。(6) ポンペイ第2様式壁画の研究研究者:筑波大学芸術学系講師研究報本研究の体系的な進展をはかるため,基本的な研究資料の収集,手した。つまり,壁画で装飾された部屋と壁面自体の写真,それらの保存状態,壁画のある壁体の構築法,参考文献などに関する上記作業である。その結果,63点のポン規定した第二様式概念に相当するポンペイ壁画だけでなく,同概念を構成するの一つでも見出せる壁画であればすべて研究対象とする必要がある。そればかりでな〜っいての基礎資料を完成することができた。本研究は,A.Mauが柳正規分類から52_

元のページ  ../index.html#70

このブックを見る