やはり表面の仕上げ形式にとくに留意しつつ調査してみた。まず像の全面にうっすらと淡黄色の彩色を施す`檀色”仕上げの像であるが,それが確固たる形跡をとどめている像としては,楊柳寺の2像と孝恩寺薬師如来立像,勝尾寺薬師三尊像等がある。これらはその彩色の残存がすでに指摘されているものばかりであるが,今回の調査で私も確かな認識を得た。特に孝恩寺像は白土下地に黄土で彩色したもので,これら色の賦彩が彩色下地の有無はともかくとして恐ら〈は染料ではなく黄土系の顔料で行なわれたことが推測させる。他方,肉身や衣のそれぞれに多様な彩色を施す像については,その各部の彩色顔料や文様等を細かに検討した。東明寺薬師如来坐像は,そのややバランスを度外視した特異な像容と重厚な立体表現により,9世紀後半〜末葉に製作されたと考えられるが,像付属の板光背も当初のものであり,この程赤外線写真により非常に流麗な文様の残存が明らかとなった。この文様を同期の室生寺薬師如来立像や地蔵菩薩立像の板光背及び当麻寺に大量に残る板光背等に描かれた文様,さらには9世紀の敦燈壁画に見出される文様(昨年9月に山郁夫ーの一員として訪中し,一週間にわたって敦燒石窟を実査)等と比較検討することにより,9世紀後半における新たな中国絵画様式(中唐〜晩唐期)の影椰も考慮すべきことを痛感させられた。この問題については現在研究中であり,同期の彫刻様式との関連へと発展してゆく可能性がある点のみを記しておく。その他,広隆寺吉祥天立像や観心寺地蔵菩薩立像,聖観音立像,松尾大杜女神坐像などの衣に施された彩色に,9世紀末葉から10世紀初頭にかけてのわが国の仏像彩色法の典型的あり方を確認した。以上,昨年度の実査作品を通じて得られた知見の概要を示したが,続く第二の課題に関しては別添の拙稿抜刷を提出することで省略させていただく。また第三の神像彫刻の発生に関する問題であるが,9世紀に入りわが国の宮廷貰族達の間に早速にしつつあったと思われる,東アジア世界(=中華)における日本人としての民族的自れが中国様式の直接的影郭から離脱した独自の美意識の形成へと繋ってゆくと考える一ーと,それは密接に結びつき,むしろ9世紀後半に至って一斉に行なわれ始める神像彫刻の造像は,その自覚にもとずく造形のあり様を端的に示しているともみなされる。また射水神杜男神像が,作風から従来いわれるような10■11世紀の像でな〈,9世紀後半に潮ると判断できることは,それが`ナタ彫り”と呼ばれる新たな造形技法の完成形態を実現している点,神像の発生とナタ彫り像の発生との関連とい58-
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