(10) 13世紀イタリヤ壁画の研究る。そこで,集め得た資料を分析してそれら類型の基とされた原作の復元を目指す。また<うづくまるアフロディテ>や<プディカ型アフロディテ>などには,数種の異なる原作があったと考えられる。この推定が当を得たものであるならば,それら複数の原作をさぐり出し,その相互関係を明らかにする。3)以上のようにして復元された原作を様式的に分析し,その制作年代に関する相互関係を明らかにする。4)様式分析により原作の制作年代が比定されたならば,それらの表現内容(イコノグラフィー)を分析し,それぞれの時代の女神並びに女性に対する理想像を追求する。研究者:東京芸術大学美術学部教授研究報上記研究課題について鹿島美術財団より交付された昭和58年度助成金により,研究者はまず,昭和58年7月より8月にかけてイタリアの現地において以下の調査を行った。調査対象として選ばれたのは,ローマ北方約65kmの地点におるサンタ・マリア・イン・ヴェスコヴィオ聖堂であり,その身廊部を飾る壁画を,足場を組んで,大型カメラにより,全画面について全図と詳細な部分写真の撮影,並びに記録を行った。当を飾っているのは,右壁の旧約伝16画面(うち2画面は完全に消滅),左壁の新約16画面(うち3画面は完全に消滅),そしてファサード内壁に描かれた「最後の審判」である。これらの作品については,新旧約両伝はアッシージのサン・フランチェスコ聖堂上堂のそれ,また「最後の審判」は,ローマのサンタ・チェチリア聖堂のカヴァリーニのそれに酷似していることは,ファン・マール以来指摘されてきたことである。さらにファン・マールは,その制作年を,アッシージとローマの両作品よりも先立つ1275年頃とみなし,作者はピエトロ・カヴァリーニよりもひとつ前にさかのぼる世代の画家であると推定した。このように制作年をさかのぼらせる説をとった学者としては,他にムラトフがいたが,一方,マティエ以後,最近の学者たちには,これを,アッシージやカヴァリーニのローマの作品よりも後の時代に遅らせるべきであるという説をとる者が多い。たとえば,ごく最近の研究であるトメイのそれでは,1294■95年頃とい辻茂-63
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