られているのである。山の描法の第二は,まろやかな曲線を描く山の輪郭線の内側を,赤,緑,黄色など,とりどりに鮮やかな葉の色を見せる樹木で埋め尽くすというやり方である。1273年の「春日若宮影向図」,1309年の「春日権現験記絵巻」,また各種の宮曼茶羅類に,こうした表現が多くみられる。これは,実際に京洛近くの山を見るとそこに樹木の一本一本が識別できることから,すなわち現実の景観の観察から生まれた描法だとの説もあるが(2),たとえ発生期の事情がそうであるとしても,上記作品にみるような完成された表現の場合には,そこにまた別の意識を読みとることも可能である。山を覆う樹木は彩色を変えてあるだけで形態自体はほぼ同一であり,むしろ単純な型の繰り返しであるといってよい。そこに窺われるのは,「山は樹木に覆われている」という現実観察の結果と抵触せずに,曲線の内側の面を美しい色の同じ型で埋め尽くそうとする意欲であるように思われる。それでは,以上のような特色ある二つの描法を生み出した事情が考えられるであろうか。この点については,中国・宋代の水墨山水画と比較すると理解しやすいであろう。中国の水墨山水画の場合,空間がいかにとらえられているかということが常に問題なのであり,山を描く時も,その立体感,量感ばかりではなく,山をとりまく大気,空間のひろがりと深さを表現することが求められる。ところが,さきに挙げた鎌倉時代の諸作品の山の表現をみると,当時の画家は,山の量感や空間の深さを表わすことにはほとんど興味も関心もなかったとしか考えられないのである。山々の重なり,奥行きの表現が色の帯となり,現実の観察から生まれた表現が山を‘面”ととらえるところまで行きつく。もちろん,完全に抽象化された平面装飾となってしまうのではなく,それぞれに山としてのふくらみは感じられるのだが,無限に深い空間を画面の上に表現しようとした宋代の水墨山水画と比べれば,鎌倉時代の諸作品には,まことにささやかな奥行きが示されているにすぎない。画面はいわば,厚みのある平面としてとらえられているのである。このことは,さきに述べた「山水屏風」の表現の基本をなす`ちりばめ構図”とも深く関連している。趣ある情景をちりばめるというやり方は,それらの情景自体のふ〈らみを殺さない程度の浅い奥行きを持つ平面として画面をとらえる時,はじめて可能となる方法だからである。以上の考察は,しかし,鎌倉時代の絵画についてのみあてはまることではない。画として,どのような-68-
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