鹿島美術研究 年報第1号
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面を厚みのある平面ととらえる視覚も,ちりばめ構図も,日本の絵画史全体を貫く特質の一つとして指摘することができるかもしれない。そうした特質の具体的な現われの一例として,ここでは,鎌倉時代の絵画における山の描法を手懸りに,私なりの解釈を提示した次第である。註(1)拙著『信貴山縁起絵巻』(<名宝日本の美術>11,昭和57年4月,小学館)(2) 中島博「寛喜2年高山寺絵図~倉時代の山水画における新様についてー」(『研究紀要』1く京都大学文学部美学美術史学研究室>,昭和55年2月)(13) 16世紀イタリヤの美術家と古代遺跡(素描・版画・絵画に関する基礎的研究)研究者:学習院大学大学院博士課程末永研究報(1) 調査研究内容及び成果:古代遺跡を描いた素描,版画,絵画などから読み取るべきことは,大きく分けてニつあるように思う。一つはそれを描いた者がどの程度,今は遺跡となったその構造物を理解していたか,という点である。そしていま一つは,どうそれを評価していたかである。第一の点については,考古学が未発達であった時代,当然多くの誤解が散見される。き込みや説明の文言によれば,最も多い誤解は遺跡の名称や由来に関するものである。しかしそればかりでなく,柱の位置関係,形態の把握,寸法,比例,プロポーション,など誤って描かれたものは数多い。第二の点は最も興味深く,ルネッサンス美術を理解する上で重要である。これもによる直接の表現があればわかりやすいが,図だけからも読み取ることができる。例えば図集といった形で編集を施してあるものであれば,その中での扱いが大きいか小さいかで評価が示されるし,ある細部を多くの異なる美術家が描いていれば,その部分は高く評価されていたと考えることができる。そして,ルネッサンス期の図では,現実の遺跡を無視して理想化して抽出するということが多く部分的な理想化,即ちある遺跡のある部分が描く者の気に入らないとそこを勝手に変えて描いてしまう,という点からも描者の評価を推測することが可能なのである(1)0以上の二点について,本研究の中間報告として,まだ詳しく調査できた資料は少な69 航

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