シノワズリの『ヴェネツィアでの中国7千年』展解説を中心とした講演,ヴェネト州文化財局のジュリアーナ・エリカーニの『1700年代のヴェネツィアにおける中国のイメージ』と題した2つの講演,それに,日本から講演者として参加した東京大学高階秀爾教授の川村清雄とヴェネツィアの19世紀末芸術文化との関係についての斬新で示唆に富む講演のみであったからである。その他,例えば,ナポリ東洋学大学教授アドルフォ・タンブレルロの,イタリアに於ける「中国趣味」の発生史及びその現象を扱った2回に亘る講演は,よくまとまっており,また文献渉猟の跡は十分察知されるものの,残念ながら東洋学全般を専攻する研究者の域を出ないものである。日本美術研究に関していえば,イタリアでの研究水準及び関心の低さは,高階教授が講演翌日に,当報告者をアシスタントとして行なった日本美術に関する質疑応答形式の小セミナーの議論展開から自ずと判明した。しかし,ヴェネツィア大学東洋学研究室主任教授アドリアーナ・ボスカロ女史の『1585年ヴェネツィアにおける日本人使節』と題した講演(その内容は既に各種研究雑誌に何回となく発表されており,邦文でも`Spazio"に載った)後に,当報告者が教授に対して行なった質問への返答が,もっとも象徴的かつ衝撃的に,イタリアにおける日本美術研究の現状を示してくれた。既ち,日本人の日本美術史研究者にとって,この天正遣欧使節がローマ法皇グレゴリウス13世に献呈した,旧織田信長蔵の安土城下を描いた屏風は,洛中洛外屏風の発展史及び作者同定の点からみても極めて貴重な資料で,ヴァチカン宮殿より17世紀に行方知れずとなって以来,夙に再発見が期待されている故,その点について質問した次第であるが,教授の答えは全くこのテーマは扱ったことがないので知らないという,そっけないものであった。いやしくも天正遣欧使節を十数年来研究して来た日本学研究者が,日本側の反応をまったく無視したこうした返答をするとは予想だにしなかったことである。日本美術研究分野に限っただけでも,こうした日伊間の研究協力の欠如は,イタリアにある日本美術品研究の場合についても言えることで,例えば,ブレッシャ市立トジオ・マルティネンゴ絵画館所蔵140点の日本美術未公開作品(元来,明治天皇が初代イタリア在日大使に下賜したものである)が,イタリア語に堪能でイタリア通ということだけで,日本において日本美術史を全く勉強したことのない素人の日本人女性によって,カタログ作成がなされ,ー・ニ年のうちに展覧会の運びになるという。こうした現状は,イタリアにおける日本美術についての理解を増すどころか,誤解・ひい77-
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