鹿島美術研究 年報第1号
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ては偏見を招きかねない。確かに,こうした日本の権威ある研究者との接触の欠如には,とりわけ今回の講座出席で肌身に感じられた,イタリア人日本学研究者の大半のもつ閉鎮性にも原因があるのではないかと思われる。いずれにせよ,こうした現状打開のためにも,高階教授の講演は実に斬新で,日本について良き理解をもつイタリア人日本学研究者のあいだではもっとも高い評価を博した。従って,日本人の日本美術史研究者が今後イタリアの研究界に進出できる基礎をつくるという意味でも,高階教授の講演内容が欧文によって出版されることを期待する。今回の講座での東西の芸術的交流関係に関するティスの研究(J.Baltrucaitis, ~uites et exotismes ア大学で東洋近代政治史を講ずるP.B.ブロッキエーリ教授が講座最終日に行なった演において見事に指摘されたように,今日の西欧文化の中に,インド・中国,日本について過去の東西交流が新たな神話的に投影を映し出しつつある。つまり,西欧人にとって,東洋は今日も尚,厚いベールに蔽われた新しい神話,新たな異国趣味を生み出す対象となるのである。チーニ財団の国際講座及びそれと平行して催された統領宮殿の『中国7千年展』への学問的反聘のひとつは,既に美術専門雑誌Arte,n. 135, novembre 1983に掲載された2つの小論文(G.Vallese, L'Oriente di Bosh a Palazzo Ducale ; A. Dalerba, を大きく越えるものではない。報告者当人としては,同時期にヴェローナで開催されたLeStoffe di Can~ Ritrovamenti e riurchesul Trecento veronese展の展覧会評を依頼され執筆した(原稿コピーを添付します)。この展覧会の呼び物である,スカラ家のカングランデ1世(一年)中でクビライ汗につけた渾名GrandeCane(大きな犬)に偶然にも一致することなどから,展覧会カタログ中の諸論文の焦点は,スカラ家治世の14世紀ヴェローナと東洋との関係に絞られたため,チーニ財団の講座の成果及び個人的知見を踏まえて,は,全体として,J.バルトロサイのほとんどが,イルク汗治下のペルシア圏で78-dans l'art ~'Paris 1955), 1981年,ヴェネト地方カトリック銀行出版のMarcoPolo venezia e • I'Orienteと題した本の中の諸研究の域を出るものではなく,パヴィEsotismo fiabesco-nel Goticc)であるが,やはりリバルトロサイテイスの研究射程1329)の副葬品中の絹織物(錦織り14世紀初めに織られたものである可能性が高いこと,また,この君公の名前―Cangrande(大きな犬)一ー自体が,マルコ・ポーロが彼の旅行記ilMilione(初版1298

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