24日ロBellosiなどによっても更新されたとはいい難い。又J.WhiteやStubblebineの研27日パ10月1日台1. 13 • 4世紀のイタリア絵画はまさに西洋美術の夜明けとでもいうべき,さまざま3日帰海外における研究活動状況:な革新性をもっていた。ビザンチン絵画の形式性は打破され,建築と結びついていたゴシック美術は,それから自立する傾向を見せ,空間は写実性を取入れた。ジョットの革新は「人間像がまさに地面の上に立った」(ドヴォルシャーク)ことにあった。この絵画の革新がなぜなされたかについてヨーロッパの学者の多くはそこに「古典の復活」を見ようとしているが,その可能性は形態的に見ても,歴史的条件から見ても,必ずしも多くはない。カヴァリエリ(ローマ派の画家)も,ジョットに与えたものは少ないし,人物像表現に限られる。ジョットの革新の上に立ったシモーネ・マルティーニやロレンツェティの絵画はさらにその「古典性」から縁遠いと考えられる。又「ゴシック」と異なるこれらの新しい要素は,イタリア美術が北方のフランスから学ぶよりも,自ら創造した面が強いと考えられる。「ビザンチン美術とゴシック美術の波頭の上に立った」絵画の革新,というパノフフキーの言葉は,決してそれらを説明していないように思われるのである。さて以上の西洋における13• 4世紀イタリア絵画の研究の動向は,現在いきづまりを見せ,Gnudi,Salviniなどのイタリア学者の研究は,新しい世代のPrevitaliや究は,個別作品についての解明に役立っても,こうした根本的な問題については何の説明も与えていない。私が目ざすのはこうした根本的な革新の理由の問題である。それは当時のイタリアと,それを囲む諸外国の情勢をもう一度検討することであり,さらに美術史上の問題だけを見直すだけでなく,当事の精神史的な背景を見直すことである。13世紀末から14世紀前半にかけて,イタリアはジェノワやヴェネツィアの海港都市を通じて黒海,ペルシャ経由によりモンゴル,の聖フランチェスコ聖堂上院壁画をマヘルツィアーナ図書館,ヴァチカン美術館訪問リパリ,アジア研究所及びフランク教授会見北故宮国立美術館中国美術研究曽増教授会見とのさまざまな交流があった。アッシジした法王ニコラス4世は北京(カンバリク)-80
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