鹿島美術研究 年報第1号
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2.ジョットについての研究はすでに1978年のミュンヘン留学からはじまっており,dell'allo tessile (Milano, 1930)はその点について詳述している。フィレンツェに使節をおくり,そこに教会堂を建てさせ(1299),又元の使節と会見している。又絹織物をはじめとする交易が行われていたことがバルディ商会のペゴロッティの『商業指南』によっても充分に窺われる。シモーネ・マルティーニの「受胎告知」(ウッフィチ美術館)の天使が中国からの絹織物をつけていることはすでにクレッセの研究でも明らかにされている。こうした面から,今度の旅行における調査が計画された。すでにその成果は拙著『ル・ネサンス像の転換』にも,ルネサンス学会の報告書の「ジョットと中国絵画」にも示されている。今回のウィーンの国際学会でも「ジョットとモンゴル文字」について発表している。しかしシモーネ・マルティニやアンブロジオ・ロレンツェティらのシエナ派絵画については未だ検討されておらずPacoagniniやRowlyらの研究は未だ東洋との関係について示唆の段階にとどまっている。今回の調査旅行はその点を打開すべく,鹿島美術財団の援助を受けて行われた。ヴェネツィアでは折から「中国7000年」展が行われ,高階教授も参加された「ヴェネツィアと東洋」学会も開かれている。ここで東洋研究所の研究者たちの講演があり,その一つを聞いたあと,イタリア学者によるこの方面の研究について懇談し,未だ充分でないことが確認された。パドヴァではスクロヴェーニ礼拝堂壁画の研究ばかりでなく,ヴェローナのカン・グランデの東洋についての深い造詣についてパドヴァ大学で研究できた。カン・グランデは14世紀初めの領主で,名前まで東洋から取り,着物は中国のものを着ていたといわれ,SangioriのContributiallo studio は美術史研究所だけでなく国立図書館において経済史上の古文書を秀利教授(ボローニャ大)は,その調査を助けてくれだが,この面で東洋との関係をさぐるのはむずかしく,教授は20年の古文書研究においても商業文書を見出すことは不可能といわれていた。商会はそうした文書は残さないし公文書も消失しているという。アカデミーのザンゲリ教授はフィレンツェでこの方面を研究しており,アカデミアに招待し懇談することができ,私の研究を助けてくださることを約束された。シエナでは古文書館長のカトーニ教授(シエナ大学)と会い,ける研究について許可を与えられ,同館における東洋関係の書物についした。星野におしコ-81

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