鹿島美術研究 年報第2号
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名による福島(2回),三重•愛知,愛媛への調査旅行を実施したほか,東京・静岡・1984年11月参照。)研究報告:昨年度に引き続き,鎌倉時代の造像銘記を有する作品について調査を行い,それぞれについて詳細にわたる資料収集,写真撮影をした。研究代表者及び共同研究者2■3 奈良・千葉・栃木の彫刻について機会あるごとに調査を行った(計34件)。当初予定の調査件数には及ばず,なお多くの未調査作品が残されているが,これらについてもできるだけ早急に調査を実施し,鎌倉時代造像銘記資料を完成に近づけたいと考えている。今回調査した作品のうち特に注目されたものを2,3挙げる。(1) 福島県都々古別神社十一面観音像銘記によれば天福2年(1234)大和長谷寺本尊を写して造立したもの。長谷寺式十一面観音像の早い一遺例として注目されるが,ことに興味深いのは,その銘記に「雖非其道」,すなわち専門仏師ではないがこれを造立したと明記されていることで,素人作か専門仏師の作かを判別する1つの手掛かりとなりうるであろう。(2) 静岡・修禅寺大日如来像,同・桑原薬師堂阿弥陀三尊像いずれも,従来運慶願経にのみ名を知られていた運慶一門の仏師実慶の作であることが,銘記により明らかになった。関東に滞在して造仏にたずさわった慶派仏師の存を証するものとして,またその作風と技量を示すものとして大きな意義を有する。(水野敬三郎「修禅寺大日如来像と桑原薬師堂阿弥陀三尊像」『三浦古文化』第36号,(3) 奈良・新薬師寺地蔵菩薩像(伝景清地蔵)東京芸術大学保存技術研究室による解体修理に際して,これがはじめ裸形の地蔵菩薩像として造立され,やや後に木造の着衣を貼装された珍らしい遺例であることが判明した。納入願文によれば,先師実尊の菩提を祈るため弟子尊遍が先師の形体に擬して造立したもので,造立の事情が明らかにされ,裸形像造像の意趣が推測されるな遺例である。概要は先に「新薬師寺地蔵菩薩像について」として美術史学会東支部大会(昭和60年1月12日,東京芸術大学)において報告。-84-

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