はてさいわひない。つまり地上界と魂の領域を区分するコーニスの線よりも≪聖母子≫が低く設置され,ややもすれば冥府へさえも降りかねないからである。しかし≪聖母子≫がそこにあるからこそ,両公爵の視線が聖母に集中できて,トルナイが述べる革新的構図が創造されうるのである。つまり五つの方向からの視線が≪聖母子≫に集中する。≪聖母子≫の両脇からー聖者が,左右斜めの方向から両公爵が,そして≪聖母子≫の真向いの小礼拝堂の祭壇に向った現実の聖職者が,各々の方向から≪聖母子≫をみつめる。ナルディーニ(8)は,それを「評決直前の重罪裁判所の雰囲気」と形容する。正方形の礼拝堂を緊迫した一瞬の静寂が支配する。ここでは図式的な異教的な宇宙観は「視線の集中効果」に完全に凌されて,最後の審判の場に変化しつつある。≪最後の審判≫のフレスコ画同様に聖母がうつむく。このような訳で,改めて≪最後の審判≫を観察すると,そこでは無数の聖者たちの視線が審判のキリスト又は聖母に集中し,しかもここでは「視線の効果」によって建築的枠組を必要としていないことに気付かざるを得ない。視線による統一という原理の典拠はダンテの『神曲』天国篇最終歌の聖母へのベルナール風祈願にあるだろう。「宇宙のいと深き池の底(地獄)より,この天堂(礼拝堂の理想的建築の典拠?)にしもまい昇り,霊のひとつひとつを見し此の者(両公爵に類推できる),伏して願くば,終の幸にむかい眼うち仰ぎ得むことを祈る……わが祈りに添いてベアトリーチェと諸聖(二聖者の典拠?)との合掌祈念するをも見給え」(9)である。わずかの現存する予備習作やその模写を検討してみると,1525年以前に構想された図式的宇宙論の構図が現存する礼拝堂ではかなり変化していて,特に「視線の集中効果」は習作中では殆ど表現されていないどころか,二聖者は逆の位置にいて,の方ではなく外側を向いていたことを知ることができる。しかも現存する彫像の制作順序と視線の効果を検討すると,以下の点が判明する。作品≪聖母子≫,≪ロレンツォ≫,≪ジュリアーノ≫の順に制作されていて,最後の作品が最も強烈に視線を意識していることである。≪聖母子≫の聖母の顔が下をむくのは,元来この作品が両公爵像よりも高くか,もしくは同じ高さに設置される予定であり,しかもその意図のもとで彫られているからである。≪ジュリアーノ≫の顔がプロフィールであるのは,能動的生活の表現のためというよりは,≪聖母子≫方向への視線を強烈に意識しているからであろう。そのためにもこの制作時期は1530年以降であることを示している。フィレンツェ包囲終了(1530年)後ミケランジェロはこの礼拝堂の地下室に隠れた。92-
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