鹿島美術研究 年報第2号
115/220

(10) 室町彫刻の研究をもつ天使たちと共に表現されることもあった。つまりこのタイプは審判図の変種とみることもできるだろう。この図像がミケランジェロの作品に流入する理由を求めているうちに,ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにおいてギルランダイオ作「大天使ミカエル,聖ドミニクス,洗礼者ヨハネ,福音記者ヨハネのいる聖母子」を一つのヒントとして見出すことができた。授乳の聖母の図像をもつこの大作はフィレンツェ大聖堂の祭壇として晩年のギルライダイオによっェロが師ギルランダイオの許を去った後であるが,この頃ミケランジェロも「階段の聖母」を制作していることから,授乳の聖母の型がフィレンツェで大きな意義を有していたことが解る。反動宗教改革以降,煉獄にいる人々に乳房から乳をほとばしりだす聖母が流行するが,ダンテの『神曲』等と併せ考察すると,ミケランジェロは「メディチ家礼拝堂」において後世に影縛を及ぼす聖母の図像を,そして視線の集中効果を創造していたのではないだろうか。このように考えたとき,河神像や復活図の位置づけができるように思われる。初期においてミケランジェロは異教的な宇宙論を抱いていたに違いないが,授乳の聖母の型を導入したとき,ミケランジェロはキリスト教的宇宙論にもどった。それがこの礼拝堂の構成から一貫性を奪ったとも考えられる。今後この制作プロセスをイタリアで入手した資料によって分析し,ミケランジェロの芸術思想の変還を明らかにしたい。ー南都における仏所機構の成立と衰退一研究者:慶応義塾大学文学部助教授調査研究の目的:室町時代の彫刻は,従来独自の様式を創造するあって,十分な調査研究がなされているとはいい難い。本研究は,室町時代の造像のあり方,作品成立の様相等が最も集約的にあらわれた南都を中心にとりあげることによって,各仏所の成立衰退の事情,仏師の系譜,作風の特色とその諸相等を明らかにしようとするものである。研究報告:昭和59年度は室町時代の諸仏所のうち5宿院仏師工房(宿院仏所)の在銘彫刻につされ,弟子の手によって完成された。その頃はミケランジ(中間報告)紺野敏文っていないと考えられたことも-97-

元のページ  ../index.html#115

このブックを見る