鹿島美術研究 年報第2号
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形成の時期を推察する手懸りとなるが,これらもまた今回詳しく調査することによってこの地方の仏教美術がマトゥラー美術のそれとは全く異なる表現方法をとることを知り,当地のグプタ様式がマトゥラーからの影縛を受けつつもむしろこの地方独自の展開をとったことが注目された。またボーパールでは,州立博物館に保存されている東マールワー地方から発見された小品(仏教・ヒンドゥー教彫刻)を中心に資料集収に努めたが,初期グプタに関する作品は少なかった。アジャンター石窟の調査では,対象を後期窟の彫刻に絞り第6窟下層,第11窟,第15窟などこれまでは殆んど資料の揃わなかった主要窟以外の諸窟を中心として,撮影及び実測を含めた広範囲な成果を収めることが出来た。この結果,アジャンター後期窟の彫刻様式についても,北インドのグプタ様式と同様に多元的な影特関係を考慮しなければならない必要性を痛感した。更にアウランガバード石窟及びエローラ仏教窟ではポスト・グプタ期における西デカン地方一帯の彫刻様式について調査を行い,アジャンター後期窟に認められた様な力量感溢れる表現形式がかなり後代にまで継承されることが実証された。洗練された北インドのグプタ様式はこの地のポスト・グプ夕様式にそれ程強く反映してはいないと考えられよう。ボンペイ滞在中に訪れたプリンス・オヴ・ウェールズ博物館ではミルプールカース出土のテラコッタ仏坐像群にみる極めて特異な西インド風の彫刻様式が果たしてグプ夕初期まで遡り得るかどうか,また,グプタ様式形成に関わりがあるか否かを中心に調査を行った。西インドの彫刻様式が充分に研究し尽されていない現状では早急に結論は出せず,今後の課題として更に考察を進めなければなるまい。ナーシク石窟では後期窟の仏三尊像が西デカン地方一帯の彫刻様式の流れの上で如何に位置づけられるかを主眼として調査を進めた。その結果,同石窟の彫刻はこれに先だって訪れたカーンヘリー石窟群後期窟の諸像と非常に近い特徴を持ち,この地方に複数の彫刻様式の系統が存することを窺わせた。最後に訪れたバーローダではマハラジャ・サヤジラオ(通称M.S.)大学の所蔵するデーヴニモリ遺跡から出土したテラコッタ仏坐像群のうち12体について同大学博物館研究員バーン博士の御好意により収蔵庫内の作例まで詳細な調査が許された。これらは先にボンベイで見たミルプールハースの作例よりも更に洗練された様式であるのにもかかわらず,4世紀の第3四半世紀に遡り得る銘文が伴出したことから,発見者メータ博士により4世紀末に位置づけられている。また初期グプタ様式とは異なる図像104-

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