鹿島美術研究 年報第2号
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的な特徴を備えていることから,当時西インドを支配していたサカ族のクシャトラパの影縛下で生み出された独自の様式ともいわれているが,北インドのグプタ様式とのつながりは未だ解明されていない。今回の調査によってこの点を明らかにし,更には盛期グプタ様式の形成に西インド的な要素が反映されているか否かを探る手懸りを得ることが出来たと思われる。しかしながらグプタ様式成立の要因には,主に北インドのマトゥラー及び東マールワー地方の造像様式がそれに先立ってかなり高い完成度を持っていたと見るべきであろう。文献及び写真資料:文献資料の蒐集は主としてデリーで行い前記したR.C.シャルマ博士の近著を始めとする1980年以降にインドで出版された未入手の資料を購入し,各博物館で発行されている紀要のバックナンバー欠落部を補うことが出来た。現地調査の際に訪れた地方博物館でも同様に出版物を入手し,今後の研究に備える体制が整った。前述の現地調査においては,写真撮影にも努め,カラー約2,000枚,モノクロ1,000枚の資料を新たに加えることが出来た。これらは各遺跡別及び博物館別に整理し,必要データと共に容易に検索が出来るよう保管している。今後の課題:現地調査によって得られた資料を基に考察を加えた結果,盛期グプタ様式の完成に至る過程で当時のグプタ朝が持つ汎インド的な性格を反映して東マールワー,西インド及び西デカン地方からそれぞれ互いに異なる彫刻様式がマトゥラー地方に及んだことが明確となった。しかしながら,この様式が具体的にいつ頃完成されたのかを直接裏づけるための資料を得ることは現在なお困難である。とはいえ各地方様式の完成時期との比較によってこれを類推することが可能であるので今後の課題として,更に多くの資料集収を行いたい。特に絶対量の不足している西インドを中心としてこれを続けて行く必要があると考えている。本助成による研究成果は,60年夏刊行の研究誌『国華』第1086号に所載の「グプタ式背障装飾の起源と中国及び日本への伝播」にその一部を収録した。_105

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