4通は南の滞欧中に,残り3通は南の帰国後に宛られたもので,当時の2人の師弟関係などを教えてくれる貴重な資料といえる。いる様子を聞き大変嬉しく思っていること,東京の展覧会に自分の作品を送りたいのでその手続きについて教えてもらいたいこと,さらに,現在自分の勤務しているチェルシーの美術学校のことに及び,学校運営や人間関係の難かしさにふれ,出来ることなら日本で教職に就きたいことなどを綴っている。文面からは師弟関係というよりも信頼し合った友情関係の感じが強い。ジョンソンは1867年に生まれ,1949年82歳で没している。彼の作品はメルボルン国立美術館,アデライド国立美術館,アバデーン市立美術館などに購入され,さらに,空爆後のロンドンを描いた60枚の水彩画と多くのペン画はギルドホール美術館に所蔵されている。主要著書に『ミケランヂェロの絵画』『フレデリック・サンディスの木版画』『鉛筆画の技法』などがある。南はロンドン滞在中,モルトン村(バークシャ州の一僻村)に3週間の写生旅行に出かけている。「心持が好く晴れて居る。起きて裏の牧場へ散歩に出る。野菊とたんぼぽ,其れから美しい黄色なバタカップが若草の中に乱れ咲いて居る。馬は既に眠から出してもらい其の上を快く歩き廻る。林檎の花は桜の様に咲き風に吹き散らされている。朝食の香の高い茶を飲み終って絵具を持って近所の丘へ登った。1人の人の好さそうな百姓が仕事を止めて手を挙げて招く。村が一面に見えるから来いと自分の畑へ連れて行く。村よりも自慢の林檎の木が見せたかったのだった。丁度海棠の様に華やかに太陽の光りに輝いて居る。此の所から見渡すと野は遥かに連なり丘の上には二,=頭の馬を併べて百姓が畑を耕やして居る。全くミレーの画そのままである。(略)」(明南煮造はモルトン村ののどかな風景,数百年もたった英国特有の農家(二階が出張り,天井につかえそうにつくられた窓),素朴な村の人々が気に入り,僅か3週間の期間ではあったが,楽しい充実した日々を過ごしている。かつて,黒田清輝や浅井忠がフランスのグレー村に惹かれ,そこで優れた作品を描き残したと同じように,南はモルトン村に惹かれ林檎の花の咲きみだれる<ノースモルトン風景>や,どっしりとした土壁の農家を描いた<白壁の農家>,<モルトン村の農家>(水彩)などの佳作を1913年2月16日付の南宛の手紙にば帰国した南が日本の美術界で華々しく活躍して治41年5月12日)-108
元のページ ../index.html#126