昭和59年春期に奈良国立博物館で開催した「釈尊・ブツダ」展出陳作品は多くの指示堂の仏画すべてにわたって調査した。かかる観点から酒田本間美術館で智證大師将来様の不動八大童子像を新発見し,この図は延暦寺,園城寺,来振寺本につぐ新出資料として,彩色技法ともども天台仏画性格の一翼を荷なう有効性があった。また天台宗独特の図像と目される仏画については積極的に資料収集を行い,例えば普賢十羅刹女像は米国ボストン美術館所蔵の数点を初め,国内所在のものは勿論,厨子絵,経筒線刻画をも含め,20余点にわたる資料を獲得している。天台系仏画の傾向を知る上で,を与えてくれた。とくに国宝高野山応徳涅槃図,同金棺出現図等を親しく調査し得たことは多大の収獲を期待し得るものである。一方,本調査研究の究極課題である阿弥陀来迎図については従来知られる作以外に,図像・作風ともども懸案としていた注目作数点を調査した。これらについては目下整理検討中で結論はさしひかえるが,例えば坐像来迎図,立像来迎図のほかに半珈来迎図の比較的古作を見い出したことから,この系統本のルーツが奈辺にあるかといった視野・観点も広がって来たことを付しておく。研究経過ーその1ー天永3年(1112)の棟札から,堂創建が知られる兵庫県加古川市・鶴林寺太子堂(旧と法華堂)はその須弥壇後壁ー表面に平等院鳳凰堂九品来迎図扉(天喜元年・1053)につぐ来迎図が,背面に高野山応徳涅槃図(応徳3年・1086)にも比すべき仏涅槃図が画れ,注目されて来たが,何分にも経年の煎煙が全面を被覆し,肉眼観察はほとんど不可能にちかく,僅か赤外線写真,赤外線テレビによって細部細部が捉えられるに過ぎなかった。それでも後壁は画面が平面であるため,また涅槃図は比較的汚れが少なく,総じて赤外線撮影による全貌把握がしだいに可能となって来た。もっとも太子堂壁画はこのほか,堂四面長押上に千体仏,須弥壇上長押の飛天,須弥壇四隅の四天柱絵,須弥壇四側の格狭間,堂東南隅の厨子に聖徳太子・毘沙門天図などがあり,機会あるたびに調査・撮影が行われ,それら知見に基づき,とくに当麻曼荼羅下縁部九品来迎図の形成過程を当鶴林寺本後壁画との関連性から試案したこともあった。本年度はさらに細部諸点を詳細にすべく,集中的調査を行ったので,その要点を報告しておく。①後壁背面の仏涅槃図については或る程度,肉眼観察が可能であり,全容をトレースするような作業も目下継続している。涅槃図に関する課題としては上記応徳涅槃図との図像対比がいちばんであるが,この問題は次の機会に回したい。111
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