又は唐時代作の二説あり)は経年の磨損と過去2回にわたる大修理のため,当初の綴れの部分を多く失しない,とくに下縁部九品来迎図の箇所は上記伝説を織付けたと伝える中央銘文帯ともども全く欠失してしまっており,総じて後世の流布本多数や中国敦燻莫高窟の壁画や同所搬出画阿弥陀浄土変相から図相復元の企てがなされねばならぬ事由である。しかるに後世の流布本の当該箇所に注目すると大同において構図付設を等しくするも細部図像において一点一点に差異があり,かかる転写の経路がかならずしも一様でなかったことを推測せしめる。なかでも九品来迎の聖衆の姿勢に関して坐像来迎と立像来迎の顕著な2系統があることは,流布本製作に際して復元的創意工夫があったものと認められねばならず,これを結論的に言えば,かつて存在した平安朝堂扉壁画九品来迎図から来迎の相および世俗相,点景相を取捨選択,もしくは再構成して新たに構図化したものと考えられる。かかる観点は,今は失われた原本曼荼羅図の下縁部のプロトタイプを試案する有効な方法論ともなり得,以下鶴林寺本を主軸に,曼荼羅下縁部との図像対照を調査の知見を交えて次に略述する。〈上輩生図〉上三品の三図は大乗善の来迎図だから阿弥陀と菩薩の来迎を説き,向って右下方には往生者の屋舎を図し,行者は端坐の態で臨終現前の相を表わす。聖衆の姿勢は坐像来迎が本来的であり,阿弥陀の印相は奈良朝阿弥陀に共通した転法輪印が正しいと考えられる。上中品,上下品へと来迎の聖衆の数を減じるいっぼう図中に世俗相がしだいに顕著となる事実がうかがわれる。例えば当麻曼荼羅図上品下生図の庭前に配される立蔀(D)や岩組(F)等々がそれで,これら世俗相は鶴林寺本にみる柴垣(D)や石塔(F)等が事象を違えて当麻曼荼羅図中に投影されたものとみられる。(付表2の符号の取扱法は以下同様)く中品上生,中品中生図〉小乗善の来迎図で仏と比丘だけの来迎を説き,この際比丘は戒善の具体例として当麻曼荼羅中に取扱われたものだろう。当麻曼荼羅図はこれを所依とする観無量痔経散善義の経説を忠実に表わしているに対し,鶴林寺本はもっと融通ある構図を表わしていて注目される。く中品下生図〉下輩生の来迎図で孝行・道徳を守る者,すなわち世間善の往生者である。鶴林寺本,当麻曼荼羅図とも富豪者の往生を表わし,両本とも老若男女の布施行の数駒を画き,この品は布施図をもって主要モチーフとなしていることが判断される。構図としても鶴林寺本の施飯と布施図は松樹に片寄せた三角構図であり(I),これは当麻曼荼羅図の中に構図と意味を等しくして採択されている。115-
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