鹿島美術研究 年報第2号
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く下品上生,下品中生図〉下品上生と下品中生図の二図は生前の善業を有しない往生者の来迎で,前者はそれでも経典を謗しらないため三化仏の来迎があると説き,後者には猛火の来迎があるが修善の結果,猛火も涼風と化し往生できるさまを表わす。鶴林寺本と当麻曼荼羅図を対比すると下品上生図はK・L・Mの事象に於いて意味と構図の共通性があり,下品中生図はX・Y・Zの事象に於いて投影された事実をうかがわせる。鶴林寺本に両品が混在している一方,当麻曼荼羅図が二図に明瞭に区割されていることから,流布本製作に際し鶴林寺本のような大画面方式の九品来迎図から関連事象を取り集め九品九図の区割の中に構図化せしめた経緯がうかがわれる。く下品下生図〉この品は五逆十悪人の臨終を説く。鶴林寺本,当麻曼羅図とも,かかる極悪人でも称名念仏の功徳により日輪来迎のあることを表わす。臨終者の姿勢は仰臥形が古式であり,庭前には殺生の相,首枷捕縛,塔婆を焼く,冥府の使者や地獄の獄卒等を図示し,この品は六道絵さながらの地獄描写をもって主要モチーフとなすのである。如上の観察から当麻曼荼羅下縁部九品来迎図のプロトタイプを思案するなら①来迎の姿勢は坐像来迎が本来的であり,かつ中尊の印相は古式な説法印であろうと認められること。②九品九図の画面方式は一図ー図としての構図上の完結性が比較乏しいこと(例えば,往生者の屋舎が互に隣接する品ともつながれている様な画面方式)③世俗相も後世の流布本にみられる様な観経所説に拘泥しない,もっと融通無碍な構図を表わしていたであろうこと。(例えば九品上半には十善業の所業,下半には十悪業の悪業といった様な自由な構図法)④下品下生の往生はかかる観点から自然な臨終の姿勢一仰臥形が本来的であっただろう等々である。(14) 近世異端派画人の思想的研究研究者:京都国立博物館主任研究官狩野博幸調査研究の目的:曽我爾白・伊藤若沖・長沢芦雪らは,我が国の近世絵画のなかで“異端”と呼ばれる特異な画風を展開した。果たして彼らは“異端”であったのだろうか。もしそうであったとすれば,近世の芸術界において“異端”であるということは,いったいどの-l16-

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