も,自らの判断で風景の美を見出すのとは決定的に違うところで,大雅の「真景図」の近代的風景画への過渡的なあり方をよく示しているものと言えよう。現地の実地調査によって,大雅の主なる真景図作品と,実際の景観を比較して判明したことは,予想されたことではあるが,描くに当って大雅は相当実際の景観に修正を加えていた。竪長の掛幅の場合は概ね上下に構図を引き伸ばして図柄を整備しているし,また<陸限奇勝図巻>のように画巻の場合,視点の明らかに違う景観を同一画面に連続複合していることもあった。また,実際の景観と大雅の真景図との関係で言えば,制作年代によってその関係に変化が見られる。2,30代の真景図は概して,直接自然に接した時の比較的生の感動が画面に息づいており,実際の自然,景観から多くのものを学ぼうとする意欲がはっきり認められる。例えば,22歳のく箕山瀑布図>では,岩の描写に当って,既成の跛法によらずに,何とか現実の立体感・質量感を出そうとする表現上の努力がうかがえるし,30代前半のく林外望湖図(宍道湖真景図)>では,前景の錯綜した樹木,水波の表現そして何よりも,ずっと向うに遠のいて行く空間の描写等に実感がこもっている。従って2,30代の真景図は,晩年のものに較べて作品として未熟な点もあるが,それを補うに足る撥刺とした力強さが認められ,ー作ごとに画風も異なり,同時期の他の中国画志向の作品群に較べて,突出した例外的な存在となっている。<箕山瀑布図>と同年の<渭城柳色図>,27歳の<陸隈奇勝図巻>と28歳の<楽志論図巻>などを比較すれば,それは明らかであろう。(ところか,最近,<陸隈奇勝図巻>と同時期に描かれた<西湖図巻>が新たに見出されたが,この年代の中国的主題の作品としては極めて珍しく,一部に<陸隈奇勝図巻>とも通ずる水墨画風が認められる。かかる<西湖図巻>の出現は,真景図の作画過程に於いて,実際の自然,景観から学ぶということと,作品をいかなる画法によって描くかという関係の問題に関して,大きな課題を提供するものとして注目に値する)それに対して40代以降の真景図の場合は,洗練された画面処理が目立つ。40代以降,大雅は自らの様式が完成すると,例えば<那智澱瀑図><児島湾真景図><楡枯園図巻>等のように,真景図までもその様式内で描くという傾向が指摘出来るのである。43歳の<日本十二景図>なども,もはや自然景の息吹きを伝えるというよりも,巧(3)さて,大雅は日本の風景をいかに描いたであろうか。-123_
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