鹿島美術研究 年報第2号
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資料を収集し検討を加えてきた女性像の中で,とりわけ我々の関心を惹いたのは,大和文華館所蔵の女性像(お亀の方像か,以下甲図と仮称)であった。この作品甲図は,凡そ寛永期を作期とすると考えられ,戦国・桃山期の武将夫人像に胚胎する風俗画的要素,及び画家の問題を考察する上で,極めて興味深い問題を我々に投げかけた。甲図は,肖像画(追慕像)としての形式と近世風俗画での女性表現の融合を表わす作品であり,また一般に寛永期と考えられている一人立美人図の成立とも関連深い作品と看倣されたのである。甲図は未公開作品であったか,大和文華館の御好意で,この助成研究の協力を得ることができ,親しく精査する機会も与えられた。そこで甲図の作品研究をここに記し,60年度の共同研究の展望へとつなげたい。(猶,共同討議の過程で,甲図と相応寺屏風との親近性が問題となった(星野の発見)が,現在後者の調査は交渉中であり,写真図版等との比較である。また同様に,新出の女性像(京都柳家所蔵)と甲図との類似も問題となったが,柳家本に関しては,小林忠氏の論考が近々に発表されるので,本報告書では取り上げないこととした。)大和文華館には,現在二点の女性像が所蔵されるが,両者とも肖像主の名を欠き,も無く,伝称すら遺されていない。通常,肖像画が美術市場に出まわることは例が少ないと言え,元の所有者を離れて,別の個人の所有に帰していることも稀である。このことは,肖像画が,故人の追慕や何らかのモニュメンタルな意義を荷って製作されるのが通例であって,製作を依頼した本来の所有者にとってこそ存在意味の大きいものであるという点,すなわち製作と鑑質が,像主の同心円上に於いてのみ,本来のを発揮するという,肖像画の本質と深く係わっている。これら二点の女性像が,正統なる所有者の手を離れ,流転して美術館(個人の趣味から自立している)の所有に帰するに至ったことと,像主が不明であることとは大いに関係し,それはまた肖像画本来の性格をも我々に物語っていると言えよう。のうち,破損を理由とするのか賛の部位(当然像主名が明らかにされていたであろう)か,故意に切除されている女性像(乙図と仮称)は,作風や辻ヶ花の小袖という服飾等から,室町時代末期を降らないと考えられ,つとに有名な秀作である。細線を引き重ねリアルな個性表出を指向する顔貌表現は,中世絵画の頂相図に通底し,には似絵の描法まで系譜を遡り辿ることができる。武将夫人像の多く(例えば浅井長政夫人像や藤堂高虎夫人像)に比べ,描法的により古い伝統上にあると考えられる。(大和文華館乙図①)-126-

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