籾て今回問題とする,もう一点の女性像(甲図)は,以上の乙図に対してはるかに保存状態は良好で,彩色も鮮やかに残り,紙面にはやれや傷みが殆ど認められない。高麗縁の上畳の上,華麗な敷物(菌)を敷き,右三十度の斜に座す女性の上方は,大きく空白を残している。(写真②参照)おそらくは賛の書き入れを予定した空白であろう。像主名に就いては,伝称も無く推定する手がかりもない。しかし,他の肖像画には見られない身体のフォルムの把え方,身体にまとわりつく着物や髪,また表情などが特異であり,追慕像の形式には異和感さえ感じられる微妙に淫蕩な雰囲気すら漂わせている。像主の解明以上に,画家への関心を惹起させる実に不可思議な肖像画と言える。(大和文華館甲図②)細部の描写を詳しく観察すると,まず目をひくのが,歯である。菌の地は,毛飩の質感を有し,唐草様の地文の上に,アップリケ手法で円形の飾り布が附されている。円形の飾り布は,R燕脂と黄の雲気文,RRの文様の中心部に羅針盤文様(或いはイェズス会の紋章の変形図案)が見られるもの,の二種を除くと,同一のパターンを示すものは無い。(全部でR,Rを含め12パターンとなる)なかでもRのパターンは,南蛮文様と言え,或いはこの毛飩自体が到来物であったかと推定させる。(写真③参照)次に衣裳に移る。白地に黒で卍くずしの地文と牡丹唐草文を配した小袖を着し,下着としては,茶地の花菱文様の単衣,更に水色の地に摺箔の牡丹唐草,赤・緑・紺・黄の彩色を見せる湧雲文様(それぞれ湧雲形の内に藤やなでしこ,朽木文や七宝文・卍くずし文等の繍りや匹田絞りがある)の上着を腰に巻いている。下げ髪,小袖,腰帯,打ち掛けを腰に巻く腰巻姿という本図の風俗(腰巻の正装)は,16・7世紀に流行しており,特に小袖の総地文や上着の七・三模様は寛永期の特色を表わしている。(大和文華館甲図③部分)小袖から腰巻,毛飩と連続する煩瑣な文様構成を,腰巻裏地の鮮やかな赤が適度な分量と配置でひきしめ,上畳のやや沈んだグリーンと対比してくつきりとした印象を与える。腰巻裏地の赤い部分に金泥できっちりとくくりを入れる手法と共に,画家の色彩感覚を感じさせる。モノトーンの小袖を囲饒する腰巻や毛熙の華麗な色彩,更に下げ髪の乱れた毛筋,これらの対比によって女性の像容は,はなやかでありながらすっきりとまとまり,色彩や曲・直線のバランスの妙味を現出している。さて,肖像画は,その性格からして端然とした像容に描かれるのが普通で,本図の如くうねりまとわりつく毛筋やあたかも一枚の布のようにまとわりつく衣裳,身体を-129-
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