鹿島美術研究 年報第2号
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も,彼等の制作にかかる作品そのものが意外に知られていないためである。従ってこの調査研究の目的は「京派」の実態把握にある。即ち円山四条派の系図を埋めている画家の作品を徹底的に堀り起こし,基礎資料の集積を試みることによって「京派」を複合的に理解する足場を作ることにある。そして次に同時代の他の諸流派との関係の中で「京派」の実態をより明確にすると同時に,明治以降の近代日本画の展開をみる一つの足がかりを作ろうとするものである。研究報昭和58年度.59年度のニヶ年に亘り助成を受けた「京派絵画の調査研究」の報告である。今回の調査研究の目的は先に述べた通り次の三点にあった。第一点は,京派,即ち円山四条派の祖である円山応挙の業積を正しく評価し,彼が日本絵画史上果たした革新性について考える。第二点は,応挙が達成した仕事が,どのような形で弟子達に受け継がれて行くのか。つまり,師と弟子達の間で起こるさまざまな問題を考えてみたい。第三点は,応挙とその弟子達によって形成された京派,即ち円山四条派が近代絵画の中にどのような形で受けとめられて行ったのか。この三点について考えてみようというのが今回の調査研究の大きな目的である。しかし,こうした研究を可能にするためには,時代背景となるさまざまな資料や,関連作品の厚い層を調査する必要があった訳である。従って,今回の調査は多方面に及んだ。マイナーといわれる作品は勿論のこと,偽物といわれているものにまで積極的に目を通した。偽物を認識することによって真物の姿が際立ってくる訳であり,又,偽物として葬り去られていたものの中にも,実際に調査をしてみれば,すばらしい作品であることを発見する場合も多々あった。調査は更にラフスケッチや下図,着物の図案,あるいは手紙類,筆や絵具などの道にまで及んだ。下図を調査することによって応挙とその弟子達との間の違いがどこにあるのかを明確に理解できるようになった。又,筆や絵具までも研究の手掛りにすることによって,技法のこと,あるいは制作のプロセスのことをも極めて具体的な形で理解できるようになってきたのである。更に又,解剖書をはじめとする中国に発生し,日本でも江戸時代中期に入って流行した人相学の書,つまり相書,あるいは,オランダ経由,又は中国経由で日本にもたらされた測量学や博物学関係の書135_

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