鹿島美術研究 年報第2号
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vヽ。(18) 黄槃語録における美術史関係史料の調査研究(中間報告)ジが変わってしまう例が非常に多いのである。応挙は自分自身の作品においても,又,弟子の指導にも,写生と共に現実空間の三次元性を最も重視した。しかしながら,応挙の絵画思考は,応挙の口から,又,手本となる作品から弟子達に伝わりはしても,それを弟子側がどのように受け止めるか,又,理解するのか,更にその上に,完全に理解したとしても,描く技術的な力量が応挙と違うことも考えられるので,狩野派に見られるような伝統の継承とは色々な点でった現われ方をしてきた訳である。つまり,応挙は絵画を創造,制作するにあたっての,自分の絵画思想,理念を弟子達に伝えはしても,決してそれぞれの弟子達の個性を殺してしまうことはなく,同じ下図を使って描かせる場合や,又ある者には同じアイディアやモチーフで描かせたり,自分の空間理念のみを伝えるという具合に,様々に指導法までも弟子に合わせて変化させているのである。ここに応挙の絵画制作に対する姿勢が現われており,この理念が円山四条派(京派)の厚い層,長い伝統を築く源となった訳である。人物画を例にあげて,応挙以前と応挙自身,そして応挙以降への流れの骨子のみを述べてきたが,こうした展開のあり方は,単に人物画においてのみではない。あらゆる主題の絵画において,人物画に見られたのと同じ一貫した展開をたどることができるのである。龍虎図については『MUSEUM』418号に,山水図については『美術史』研究者:京都府立鴨祈高校教諭大槻幹郎調査研究の目的:黄槃語録とは,明末清初の禅僧隠元の渡来によって黄槃山萬福寺が開創され,これを本山として開立された臨済宗黄槃派の禅僧語録のことである。隠元以下多くの僧侶が渡来するが中国禅院の文人的教養豊かな人物が多く,新興教団であるだけに,その語録等著作の板行が積極的に行われた。この会下に入った日本僧もその風に倣い,多くの語録類が遺されることとなる。黄槃僧の語録は文人的であるだけに,その内容は芸文的色彩が濃厚であり美術に関するものも豊富にみることができる。日本近世美術史の展開の上で黄槃の果たした役第120冊に発表の予定であるが,花鳥図その他の詳細については機会を改めて報告した138

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