し美術への関心を示すものも多い。黄槃語録は南宋以来の基本的な形式である住院法語,乗払・陸座法語,枯古・頌古,示衆法語,1帖頌,像賛などの各部門を備えるが,侃頌の量が多くまた詩的性格が強いのが特徴である。そこで文学的著述といえる外集「詩文集」を隠元以下渡来僧のほか多くの黄槃僧が遺している。なお語録には行実「伝記」も録されているが,隠元・木庵・高泉などは単行の詳細な編年体年譜があり,史料の年代をおさえる上で重要である。従って黄漿語録は狭義の語録のほか外集及び年譜を含み,尚美術史史料として必要と思われる萬福寺文書も調査の対象とした。黄槃は南画発祥のほか近世における中国様式摂取など,日本美術史の展開の上に一定の役割を果したが,本調査はこれを考える上で文献史料としての黄槃語録の存在に着目し,この整理と集成を通じてその意義を明らかにすることを課題とするものである。58年度は渡来僧の語録について調査を終えたが,日本僧の語録も大量に遺存し,この調査をもって一応の完成をみるものである。幸い来年度継続して助成金をいただ<こととなったので,成果のまとめは来年度とし本年は調査の結果得た2,3の点を述べて中間報告としたい。宗祖となった隠元の場合,その語録類で板本の現存が確認されるものは203巻78冊を数える。尤もこの中には再編集され,また同一書名で教次の増補板など重複するものがかなりあるが,詩1fりのみでも4900余首で,題賛が653首ある。題賛のうちには後で述ぺる自賛141首を含み,これを除くと512首である。隠元は書作品は多いが画作は殆んどないので他画賛であるが,禅者だけに85%は道釈人物画に対する賛である。ここにこの頃より始まる近世禅林絵画のなりゆきをみることができる。この中には,元の雪庵の<十八羅漢図>(現静嘉堂文庫蔵)や明末の陳賢の<観音図>(現萬福寺蔵)など当時の請来作品に対するもの,当代日本の画家狩野探幽•安信・探信・洞雲など狩野派の作品に対するもの,また隠元の日本渡来を主導した渡来僧逸然の作品や隠元の弟子木庵・即非画等に対するものなどがある。なお花鳥画・山水図など鑑賞画に対する賛も多くはないが20首余りみられる。この中には董其昌の山水図,陸治の秋景図など明末文人画に題したものがあり,当時の請来作品を知ることができる。また詩の中で,萬福寺伝来作品の陸治の自画賛<墨松図>に周天球の題賛を伴う作品があり,陸治の詩に隠元の次韻があるのでみておきたい。本図は隆慶5年4月(1571年),76歳の陸治が友人の祝寿に贈った老松図であるが,時と所を越えて隠元がその祝寿に贈られ次韻したものである。次韻の詩は『松隠続集』巻4の「七言四句」の中に-140-
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