鹿島美術研究 年報第2号
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Eigen Haardといった美術雑誌はこれら神学=美術批評家達の筆によって宗教的色彩19世紀後半に生れた世代によって断ち切られながらも,この世代の芸術家に根強く微ートピア的でありながらと,この2人の巨匠が芸術的共同体を創り出そうとしたことは,彼らの書簡,論文が伝えている通りである。次に,これ迄あまり指摘されることなく,本調査中に浮かび上って来たオランダ近代の特質に,19世紀中葉迄の神学者の役割がある。これは後に列挙する19世紀の芸術雑誌の内容調査から判明したことであるが,この時期迄神学者はその本来の役割の他に政治家,作家,詩人,芸術批評家として,社会の多くの方面で依然として力を振っていた。革命勢力がさほど大きくなかったオランダならではの現象であり,Kunstkronijk,の濃いものとなっていた。絵入り宗教誌と言ってもあながち極言ではない程である。勿論,神学者達の論文は近代的な意味での芸術批評とは異なり,Tachtigers(「‘80年世代」)の文筆家達が活躍する頃迄には姿を消して行く。しかし,神学と芸術の関係は,妙な影牌を残していた。シュライエルマッヘルの流れを汲むフローニンゲン派の牧師であったファン・ゴッホの父や,神学者かつ有力政治家A.カイペルと交友をもち,キリスト教系学校の教育者として自ら宗教画を描いたモンドリアの父は,神学と芸術が幸福な関係を保っていたカルヴィニズム社会に生きた人間であり,この社会の崩壊期を生きたのが彼らの子供達であった。このような背景を考慮すれば,ファン・ゴッホの神学志望断念,モンドリアンの神智学への関心,さらにまた,新しい社会建設の試みとしての「共同体芸術」も充分説得力のある連続性を帯びてくる。そしてさらに興味深いことは,ファン・ゴッホ,モンドリアンらの芸術家が作品から宗教的な臭いを消し去りながらもその根本的な考え方,態度において神学者的,伝導師的臭気を多分に放ち続けていたことである。以上2つの基本的主題は,今後の研究によってさらに多くの具体例をもとに発展させて行き,また,それ以後の時代についても今後研究,調査を重ねて行く予定である。本研究の対象である約80年間(1850-1930)は作品,資料ともに膨大であり,本年度だけで抱括的成果を得るのはもとより不可能であるが,今後も作品,資料調査を続け,個別研究の成果を発表して行きたい。以下に本年度中に行なった調査及び成果を列挙する。-148

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