鹿島美術研究 年報第2号
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あり,実現しなかった。シンボジウムは,マッカーサーメモリアルファウンデーションの主催で2日間,ヴァージニア州,ノーフォークで開かれた。隔年に開かれるこのシンポジウムで,去年は,「占領下の教育」というテーマが取り上げられたが,今回は「占領一芸術と文化」というテーマで開かれた。出席者は80名余りで,東西の研究者が集まり,日本からも多数の出席者があった。報告項目としては,「美術」「ラジオ」「演劇」「文学」「映画」などがあり,私自身の研究のためには,メリーランド大学メイヨ教授の「戦争直後のラジオについて」,法政大学,袖井林二郎教授の「諷刺画」について,ニューヨーク大学の平野京子さんの「映画」についての報告が特に興味深いものであった。美術については,トロント大学のウォーターハウス教授の報告を,占領軍民間情報教育局美術担当顧問であったシャーマン・リー氏がディスカッサントとして受けられる予定であったが,リー氏は直前に体調をくずされて欠席となった。リー氏に面会できるのを期待していた出席者も多数いて,これは大変に残念であった。私はそのリー氏のかわりにディスカッサントになるように主催者のバーグマン教授に指名されたが,急な事で準備もなく辞退し,そのかわり,フロアーから私見をのべる事にした。主に占領軍による日本の戦争画の取り扱いについて話した。占領下の美術行政については,他の主席者とも話し合う機会を多く持てたが,まだ,まとまった研究どころか小論文すらまとめていないのが現状で,どこかで研究が進行しているという話も聞かない。私は,この様な未開拓の主題を扱うことの難しさを改めて自覚した。出席者の中には,当時GHQに配属されていた軍関係者の米国人や日系二世の人々もいて,質疑応答の際にはその頃の体験が語られた。二世の通訳に対する当時の批判など難しい問題も,当事者をまじえた活発な討論の中で有意義に扱われたと思う。どの報告にも,占領軍による思想検閲がそれぞれの芸術や文化の発達に与えた影聾が,一つの重要な論点として扱われていた。映画など,シナリオの残っている物については,具体的な例を上げてくわしく報告があり興味深かったが,全体的には,まだこの点に関しては沢山の問題が残されたまま,シンポジウムは閉会した。第二の目的であったプランゲコレクションと呼ばれる資料の閲覧は,1年以上も前から計画していた。それを所蔵するメリーランド大学マケルディン図書館の司書で占-170-

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