、つ゜第3の目的であった公文書館は,スートランドというワシントンから車で20分程の領関係の英文の出版物に関しての専門家のシュルマン氏とは何度も連絡をとっていたので,第一日目から希望していた資料の閲覧を開始した。プランゲコレクションとは,占領中GHQが検閲した出版物の一部を,当時SCAP所属の歴史家であったゴードン・w.プランゲ氏が,1951年に日本を去る際にG2民間謀報局長であったウィロビー代将を通じてメリーランド大学へ寄贈を手配したものである。量にして30立方メートルにもなり,45,000冊の文書を始めとする膨大なコレクションには,ゲラ原稿に青や赤工ンピツで検閲のあとを残すものが多くみられる。今回の目的は美術雑誌の検閲状態を調べる事にあり,どのような内容の記事が統制の対象となったかを調査した。「みづゑ」や「アトリエ」など,今でも発行されている雑誌も掲載禁止や削除の統制を受けた時期があり,検閲担当者のレポートには削除の理由並びに雑誌の政治思想傾向も報告されていた。同人誌のような発行部数の限られたものも対象からはずされず,コレクションの中には珍しい文献も存在した。特に興味深い点の一つとしては,西洋画や洋画に関する記事や論文についてより,日本画や東洋の美術に関するものが細かくチェックされていたという傾向があげられると思う。プランゲ・コレクションの整理をなさっているクック夫人は日系二世で,当時のGHQで検閲のための翻訳をしていたので,その頃の話を聞いた。アメリカではオーラルヒストリーが盛んで,テープレコーダーに占領関係者の話が徐々に納められつつあるか,クック夫人もインタビューを受けた一人だ。このような情報も含めてマケルディン図書館からは沢山の収穫があったと思郊外にあった。そこではここ数年間にわたり,日本の国会図書館の方々が,GHQのSCAP記録のマイクロフィルム化を進めている。米国軍事局の記録を保管する倉庫のような建物の一角にある図書館では,常時10人程の研究者やジャーナリストが黙々とダンボール箱から束ねられた手紙や書類のファイルを取り出し閲覧している。それらの書類はほとんど未整理のまま何十万という箱に納められ保管されているので,よほど根気よく調べないと目的の箱にはいきあたらない。私は,幸運にも2日目に美術関係の資料にめぐり会うことができた。戦争中に日本人画家により画かれた戦争記録画が1951に占領軍により米国へ持ち去られた事は,良く知られている。今回は,その前後の詳しい事情が初めて明確にされる資料がみつかり,記録画の当時の保存状態などの写真記録も興味深い資料であった。その他,民間情報教育局の美術顧問や職員の通信記171_
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