鹿島美術研究 年報第2号
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オモチャに中央の部分に穴が明けられております。また次の作品は高さが1m87cmもある非常に大なプロンズの香炉です。これは鹿に乗った壽老人を現わしております。プロンズの作品です。これらの大工芸品は18世紀末頃にフランスで大流行を見ました。次はインドに対する関心ですが,ロダンはゴルベフという考古学者の友人のお陰でインド美術に興味をいだき『アルス・アジアティカ』つまり『アジアの芸術』という雑誌にマドラス博物館の彫刻についての解説を書きました。ロダンの芸術と,インド彫刻の伝統に見られる感受性には強い関連がありますし,実際ロダンはインド彫刻を購入しています。これらはバラモン教の神々を乗せて練り歩く行列用の車から取った彫刻なのですが,その例として先ず《子供のクリシュナー》の浮彫りがあります。クリシュナーとは宇宙を司どるヴィシュヌ神の人間としての姿なのですが,これは力と知性の神として崇められています。次は《大蛇カリラを飼い慣すクリシュナー》。このようなインド彫刻は,ロダン美術館に20点ほど保存されています。それからこれはムードンにあるロダンの家の周囲に置かれた仏教の神々です。右側のガラスのある部分がロダンのアトリエでその左側に可成りた<さんの仏像が置かれています。これは彼の仏教に対する関心のあり方を示すものです。次はカンボジアについてお話ししましょう。旧インド支那のカンボジアからロダンは1906年に激しい感情的・美的な衝撃を受けます。これはカンボジアから舞踊団の一行がやって来た時の事ですが,その舞踊団はカンボジア国王が1906年の博覧会を機にフランスに表敬訪問にやって来た時に随行したものです。これは一行の写真です。そしてこの舞踊団の団長はカンボジア国王の姫でした。ロダンはこう言っています。「私は彼女達を天にも昇る心地で見た。その後は全く空白になった。彼女達が去った時は暗くて寒々とした中に取り残された,私は彼女達がこの世の美をもたらしたのではないかと思った」。彼女達の動作に魅了されてロダンはこれを描きたくて堪らず,した。日曜日も仕事をしたかったのですが,たまたま紙が切れていたので食料品屋の包紙で我慢しなければならなかった程でした。カンボジアの踊子達は大変若くて12歳から14歳位までの年でした。そして子供のように気が変り易く,ロダンは飽きられない様に玩具をってやったものです。この写真はカンボジア娘をデッサンするロダンです。カンボジア娘達を描いた大量のデッサンは,ロダンの技法がすっかり変ってしまった事を示しています。ここにお見せするのはロダンが若い頃イタリア・ルネッサンスの作品をもとに描いたクロッキーです。次に《地獄の門》を制作していた頃の,つまり黒の時代と云われた頃の作品です。これはボードレールの《悪の華》の一つのエピソードを描いている《私は美しの船の出るマルセイユまで追って行きま16-

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