鹿島美術研究 年報第2号
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1558■1617)の作家及び作品論から,本研究はスタートし,さらにその周辺作家へとReznicek (1961), W. Strauss (1977)などの研究書があげられるが,版画集としてはHollstein,Bartschが一般的であり,これらによってまず作家と作品の全貌を読み目的で日本に将来され,そのうちのいくつかは現在に至るまで貴重に保存されてきてもいた。しかし,それらが日本における貴重さとは反して,必ずしも現地でマーケット・プライスが高いものとはいい難い。確かにこの時期のネーデルランドは,出版文化の黄金時代と言ってもよく,宗教版画は大量に生産され,ェングレーヴィングの技術もに達していた。それなりに複数性という版画独自の役割も果したし,最高の刷りのものはしかるべき宗教機関や宮廷に残ったが,多くは市井に流れて大衆化し,あるものは日本にまでやってきたと言うわけである。それゆえにこれらには,美術史的価値もさることながら,文化史的な価値が極めて高く,大きな文化現象という側面をふまえながら,版画史の位置づけを目ざしつつ,それぞれの版画家の作風をとらえてゆくという方向性が必要である。そこで具体的には,最近研究が進み,とみに評価が高まってきているホルツィウス(HendrickGoltzius 広がっていった。ホルツィウスについては,まず基本文献として0,Hirschmann (1921), E. K. J. 取ることができる。次に版画家として,ホルツィウスが誰の原画を用いたかという観点と,さらにホルツィウスの原画を誰が版画化したかという観点から,ホルツィウス周辺に研究の範囲を広げ,それによって「ホルツィウスとオランダ・マニエリスム期の版画」という16世紀後半の版画における時代様式を解明することになる。こうしたホルツィウスを中心にした版画史の見直しを意図した展覧会が,何度か開かれているが,中でも1967年にウィーンのアルベルティーナで開かれた展覧会「ルネサンスとバロックの間」は大系的なものとして重要であり,最近では1982年にチューリッヒで「ヘンドリック・ホルツィウスとネーデルランド・マニエリスム」という副題を持つ「エロスとゲバルト」という展覧会が開かれ,1983年にはアメリカのラトガース大学美術館で,ホルツィウス周辺の版画を含んだ「ハーレム_17世紀」という展覧会が開かれ,ともに信頼にたるカタログを提供している。このようにオランダ本国以外で,ホルツィウスが企画展のテーマとしてあがってきている現象は,単に異国の美術紹介という範囲を越えて,それぞれの国でホルツィウ-56

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