鹿島美術研究 年報第2号
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1564年にヒエロニムス・コックによって,第2がテオドール・ハレ,第3がヨアン・かのリベットの形の相違から第2ステートのものと思われる。後者は1529年に製作された<アダムとイヴの物語>を表わした6枚組のシリーズの最初のものであり,すでに初期の彼独特の個性的相貌は消え,1521年頃よりはじまるデューラーの影響の最後の時期の作風を示している。透かしは手と花の模様を持ったもので,ステートについてはPetriのアドレスが削除されているところから見て第3ステートであろう。次にマルテン・ファン・ヘームスケルク(1498■1574)とその周辺のものがある。彼はミケランジェロに影椰を受けた北方マニエリストの一人であったが,<タマルに腕輪を与えるユダ>(H2)は数少ない彼の自刻銅版画の一点で,衣のうねりや人体の筋肉表現は,ミケランジェロを極度に様式化した彼独特の個性を示している。これはくユダとタマルの物語>から取った4枚組の最初のものであって,ュニコーンの透かしを持った紙に刷られている。アフター・ヘームスケルクの作品については,<放蕩息子のたとえ>の6枚組のシリーズのうちから2番目のく売春婦と飲みさわぐ放蕩息子>(H283)と三番目の<豚の飼育をする放蕩息子>(H 284)があり,次にく人生の転変>と題した8枚組の寓意画の6番目に含まれる<欲望(Inopia)> (H IV 164 or VIII 133)という作品がある。さらにホルスタイン版画集には記載がもれているようだが<王子の婚宴のたとえ>(マタイ伝22章)から取材したシリーズの1,3, 6番目のものも含まれている。これらはともにヘームスケルク独特のこってりとした人体表現が際立っており,しかも何度も版を重ねたようで,当時の一般をも含めて人体に対する特殊な美意識と嗜好をうかがい知ることができる。最初のものは1562年に初版がヒエロニムス・コックにより出版されているが,ここではテオドール・ハレによる第2版のものである。3番目のシリーズについても画面にハレの出版という記載があり,様式的にも極めて近い時期のものと思われる。2番目の寓意画は他に〈世界》《富》《誇り》《ねたみ》〈戦争》《謙遜》〈平和》というタイトルを持つものがあり,ステートについては,第1がハレによっており,彫版はディルク・フォルケルト・コルンヘルトが行なった。ヒエロニムス・コック及びテオドール・ハレによる出版事業は,16世紀後半期においてアントワープを拠点として世界に乗り出していった。上記の版画家コルンヘルトは,そうした出版文化の中で育った思想家でもあり,それは次の世代の弟子ホルツィウスに伝えられることになる。そしてハーレムを拠点にしてホルツィウスは17世紀を-58-

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