ル峠を越えるボナパルト>を制作しようとしていたダヴィッドに対し,「逸り立つ馬の上にありながら平静な姿」の自分を描くように要求した。つまり1799年ブリュメール18日のクーデタによってフランスの事実上の支配者となっていたナポレオンにとって,古典主義美術観の第一原理の「偉大なる静誼」は,民衆に対して統治者としての彼の存在を誇示することを目的として制作される肖像画には,必要不可欠な特質であったのである。同様に,ダヴィッドの大作<皇帝ナポレオンの聖別式とヌの戴冠>(1805■1807)にしても,かつて1780年代にダヴィッドが描いた<ホラティウス兄弟の誓い>を初めとする一連の作品の,フランス新古典主義絵画の頂点とされる厳格で簡潔な様式に比較してこそ複雑微妙な写実主義への傾斜を明瞭に示してはいるものの,その根本的性格においては,動よりも静を重んずる古典主義的芸術観に貫かれているといってよい。また絵画の分野のみならず,ある意味では最もはっきりとナポレオン時代の美術遺産ということのできる室内装飾における帝政様式が,その典雅な形態やエジプト・ローマなどの古代的モチーフとによって広義の新古典主義美術の有力なー側面を形成することは,研究者たちの一致して認めるところである。更にここに作品や様式以外の,ナポレオン時代の外的な美術史的現象に関する見解をつけ加えるならば,イタリア遠征以降,ナポレオンが着々と各国の美術品を収奪し,フランスの美術館に送らせたことも,単なる戦利品獲得の行為としてのみではなく,美術品収集の拡大と美術館の充実という,いわば啓蒙的な,つまり新古典主義芸術観の根底にある思想と相通づる意図に基づくものと考えられてよいのではなかろうか。このようにナポレオンが直接に関わった美術ないし美術的現象は,一般にその根本的性格において新古典主義的芸術観の一翼を担うものと考えられる。だが,もちろんナポレオンのフランス美術に対する影騨は,単に新古典主義的性格の幾つかの作品を誕生させたにとどまるものでは決してない。既に上記のダヴィッドのく皇帝ナポレオンの聖別式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠>において,帝政様式の代表的建築家ペルシ工とフォンテーヌの意匠になる紅緑のビロードの垂れ幕や天蓋を多用したノートルダム大聖堂のしつらえや,皇帝夫妻の衣裳の白紹の毛皮,金糸の刺繍を施した紅ビロードの布地,光沢のある白絹には,中世以来のフランス王家の豪奢な美意識の反映が充分にみて取れるのである。そしてこのような美意識が王政復古期のいわゆる「トルバドゥール様式」の先駆をなすものであるという事実は,皇帝ナポレオンの戴冠という一見極めて古代復古的な性格の事件を描いた作品にフランス的な要素が結びついていァンビールジョゼフィー-65
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