ァボテオーズる例を示すものとして興味深い。すなわち,ここには既にフランス固有のものに対する関心という形でのロマン主義の崩芽がみられるといってよいと思われるのである。また,1799年にボナパルト将軍がジョゼフィーヌに買い与えたマルメゾンの館を飾るためにジロデとジェラールに注文された<オシアン>のテーマの絵が,内容・様式ともに前ロマン主義を代表する作品と考えられることはしばしば研究者によって指摘されている。ダヴィッドよりもむしろナポレオンの姿を一層忠実に後世に伝えているとされている画家にはグロがいる。ダヴィッドはナポレオンが最もナポレオン的な姿を示していたに相違ない戦場における彼の姿を描いていない。だがナポレオンより2オ年下であったグロは皇妃ジョゼフィーヌのとりなしでしばしばナポレオンの軍隊と共にあり,戦場あるいは遠征途上のナポレオンを描いているのである。グロは後に,自分が師ダヴィッドの教えに背き,後進たちに悪影騨を与えたとしで悩み,セーヌ河に身を投げて自殺する。この事件は通常新古典主義の教育を受けたロマン主義的資質の画家の悲劇として理解されているが,彼のナポレオンを描いた二つの大作<ジャファのペスト患者を見舞うボナパルト>及び<エイローの戦場のナポレオン>にも,そのようなグロの二面性は明らかである。すなわちこの二作において,ナポレオンは,エジプト遠征軍の中に発生したペストの患者を恐れる様子もなく見舞う超人的な勇気の持ち主として(そしてそれでもペストに感染することのなかった奇跡の人として),また皇帝という高い地位にありながら実戦を指揮する軍神のごとき人物として描かれている。その意味でこれらは純然たる英雄の称揚を主題とする絵画であり,その静観的な観念性において新古典主義の綱領と合い通じるものをもっている。ナポレオン自身これらの作品に表された己の姿に満足の意を表したと伝えられる。だが,グロの鋭敏な筆は英雄の称揚以外の要素,現実の人間の運命に照らして一層深刻な要素をこの二画面に描き出してしまっている。すなわちそれは,<ジャファのペスト患者を見舞うボルパルト>の画面の周辺を埋めているペスト患者たちゃ,<ェイローの戦場のナポレオン>の前景に横たわる戦死者の屍の山である。これらは新古典主義絵画にしばしば描かれる「英雄的遺体」(ポールソン)ではなく,まぎれもない病者の姿,哀れむべき戦死者の死体である。このようなマイナスの状況にある人間の姿に注がれるグロの眼,いわば「敗北の美学」への彼の無意識の共感は,恐らく,師のダヴィッドによって示された古典主義美学の道を自ら踏み外したと感じたグロの苦悩の原因の最大のものの一つ-66-
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