であったであろう。このように,ナポレオンの在世中に描かれ,またナポレオン自身の賞讃すら得ているダヴィッドやグロの作品において,既にいわゆるロマン主義的な美意識の萌芽がみられる。では,ナポレオンの時代にやや遅れてやって来た世代の画家,例えばジェリコーやドラクロクの作品にナポレオンはどのような影を投げかけているであろうか。(私の知る範囲で)この二人の画家は少なくとも油彩画の大作としてはナポレオンを扱っていない。だがそれにもかかわらず,フランスロマン主義絵画の代表的存在であるこの二人の作品におけるナポレオン的なものの痕跡は明白である。ジェリコーは馬を愛し,兵士を愛し,この二つの画題をくりかえし描いている。そして,ドラクロワもまた猛り狂う馬を好んで描き,ナポレオン時代の戦争でこそないが,フランス史上名高い幾つかの合戦を激動的なタッチで描いている。ようやく過ぎ去ったナポレオン時代の追憶がもたらした馬と戦いのモチーフは,この時期のフランス絵画の新たな特質である運動への感覚を結晶させる核となったといってよい。そして動きに満ちたその新しい芸術こそ,スタンダールがいうところの「情熱と意志」すなわち「エネルギー」の美学の絵画における出現にほかならない。その意味でナポレオンとその時代は,静から動へ,観照から情熱へ,規範への従属から未知に向う衝動へという,新古典主義美学からロマン主義美学への移行の舞台となったといえるのである。ではそのような橋わたしの役割を担うことが,いかに強大とはいえ,制作者としても理論家としても美術界に直接の関わりをもっていたわけではない一為政者であるナポレオンになにゆえ可能であったのだろうか。その答を得る鍵は,おそらくはナポレオンその人が,単なる軍事上の覇者,行政上の支配者ではなかったという点に求められるのではなかろうか。ナポレオンについて著された厖大な数の史書や彼自身の言葉,側近の人々の回想録の一端をかいま見るだけで,彼の行動原理が決して現実の要請に従うものではなく,彼自身が心に抱いていた絶対的支配者,すなわち一人の英雄のイメージに己れを一致させようという欲求から生じてきていることが判る。その意味で彼の行動が,一方では数十万の兵士の悲惨な死を引き起こし,また他方では近代フランスの礎となるという具体的な結果を生んだにせよ,彼自身はあくまでも,いわば自分の美意識の欲求を満たすために事を行なう「行動の詩人」であったのである。そして彼自身が心に抱いていた「英雄」のイメージ,それは決してヘラクレス的な臀力の英雄でも倫理的偉大さによって称えられる英雄でもなく,遠くエジプトにまで向う情-67-
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