(近鉄,東芝,大和文華館の共同開発)変化をもたせる)に注目して,その表現効果をかんがえ,江戸時代の宗達,蕪村の「具引き法」と比較した。作品総目録の作成の準備として,「美術品情報検索システム」の開発をおこなった。研究報こんにち,所在が判っている雪村の画は,およそ150点を数える。未知の遺品を考えると,その数は200点を下るまい。室町時代の画家で,これほど多くの作品を残した面家は,雪村を除いていない。そのような雪村ではあるが,今まで,美術史の上で,正当に評価されてきたかというと,そうではない。雪村が活躍した16世紀の戦国時代の絵画に対する認識が十分ではなかったこと,また,彼が中央画壇とは無縁の東国の画家であったことが,正しく評価されなかったことの原因ではないかとも思われる。その奔放な筆墨は,粗放であるともみられ,動きを伴なった誇張された形態描写は,静謡な室町水墨画をみなれた人の眼には,上品さを欠いていると写るであろう。その平明で人間くさい表現が,卑俗であると受けとられないとは限らないのである。しかし,100点ほどの雪村画を実見して,一つ一つの画を熟視すると,そうではなく,粗放といわれる筆墨のうちにも繊細な感覚があり,この画家の人間性と知性を感じる。また画風も,決して単純なものではなく,変化し発展しているのである。そして,村は,常に独自の新しい工夫を試みている。彼が採りあげる主題,素材はすでに前人によって採りあげられたもので,特に珍しいものではない。しかし,それが一たび,彼の筆にかかると,雪村の創意にでるもののように新鮮なものとなって生れかわるのである。* 雪村画のなかで,制作年の明かな作品,推定しうる作品は,数例にすぎない。すなわち,天文19年(1550)自賛<以天宗清像>(芳春院蔵)と天文24年(1555)景初周随賛<夙臥鳥図>(常盤山文庫蔵)の2点であり,景初周随(弘治3年・1557没)賛<蕪図>(花園大学禅文化研究所蔵)と,大室宗碩(永禄3年・1560没)賛<山水図>の2点は賛者の在世時から,大体制作年を推定することができる。なお,永禄6年(1563)の年紀がある中村雅真氏旧蔵の<倣玉澗山水図小軸>は,現在,行方不明であるが,幸い,その写真が残されている。また,行年七十一歳の<竹林七賢図屏* -69-
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