鹿島美術研究 年報第2号
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教観とのつながりである。現在の我々が美術品と捉えている多くの作品は古代メソポタミアにおいては,記念物,奉納物,日常生活の必需品,その他様々な形で具体的な目的を持ち制作されたものであった。そのなかでも,今回はアッシリアの浮彫彫刻作品と宗教儀式との関係について取扱った。これは,アッシリア帝国時代(紀元前第1千年紀)の宮殿に浮彫が数多く残され,宗教的な場面を表現したと考えられるものが少なからず含まれていること,また宗教儀式が当時の社会で相当に重要な位置を占めていたことがわかるためである。さらに,このような調査研究を通じて従来ともすれば別個の研究成果はあがるものの,相互を関連させる機会の少なかった美術史・学的研究方法と,文献・歴史学的研究方法との接点を探ることも本研究の一つの狙いでもある。研究報アッシリア・バビロニア美術にみられる宗教儀式描写の研究を進めて行く過程において,対象を新アッシリア時代の浮彫に絞り,現在のところ浮彫のテーマの分析を研究の主要部分とし,宗教儀式の描写研究は今後の研究課題として続けて行くことにしたい。紀元前第一千年紀にメソポタミア地方をその圧倒的な軍事力によって支配したアッシリアの王たちは,自ら征服した各地から集めた贅沢な資材を用いて新しい首都を造営したり,壮大な宮殿や神殿を次々と建設したりした。これらの首都のうちニムルード(カルフ),コルサバード(ドゥル・シャッルキン),ニネヴェからは紀元前9■ 7 世紀の都市遺構が発見され,いくつかの王宮からアラバスターの石板に刻まれた浅浮彫が相当数発見されている。これ迄に私が集めた材料と,今回助成を得て入手することのできた研究資料とから把握し得る限りでは,現在までに紀元前9世紀のアッシュールナツィルパル2世時代の浮彫(ニムルード西北宮殿),紀元前8世紀のティグラトピレセル3世時代の浮彫(ニムルード中央宮殿,南西宮殿),サルゴン2世のコルサバード宮殿の浮彫,紀元前7世紀のセンナケリプ王の宮殿の浮彫(ニネヴェ),アッシュールバニパル王の宮殿の浮彫(ニネヴェ)が発掘されている。以上のほかシャルマネセル3世の「黒いオベリスク」と,青銅板の作品ではあるが同王のバラワート宮殿の門扉,そして少数とは言えエサルハッドン王時代の浮彫断片も伝えられているから,これらを加えると紀元前9世紀から7世紀までの主な時期の浮彫作品は,一応作例が揃うことになる。-79-

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