鹿島美術研究 年報第3号
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11.地草堂草紙絵巻(某家)この中には土佐光信の作品として,すでに評価の定まったものもあるが,そうでないものもある。そうでないものについてのみ補足説明を加えておく。まず,東京国立博物館の「伝足利義政像」については,土佐家資料の中に,土佐家では土佐光信が描いた足利義政像を忌日にはかかげて茶菓を霙じてきたが,維新後その像は帝室博物館の所蔵に帰した,と書かれたものがある。本図がそれに相当するものではないかと推測される。同図を見る限りでは義政は丸顔で,祖父,義満の骨相をひいているようである。肌は白く,眼元や足指のさきがかすかに赤らみ,いかにも内のみに育った人物のようである。ここでも背後に水墨山水図が描かれた襖絵を負っており,室内の景とわかる。この像のユニークな点は,像主の傍らに置かれた蒔絵の鏡台の存在にある。勿論,これは描かれた像が実際に似ているかどうかを確かめるためのものである。肖像画というものは,像主にとってはいつも不満足なものである。小さな鏡台の存在によって像主と絵師との間に交された会話が聞こえてくるような現実感が湧いてくる。こうした特色は光信の肖像画に共通するものではないが,像主の日常的な表情を捉えるという点では通ずるものがある。その意味で,本図は遺像という伝称をもつが,義政が延徳二年(1490)に逝去する以前に描かれた寿像であろう。メトロポリタン美術館の「四季竹図」屏風は土佐光起による光信筆との極めが書かれている。紙中極めには留意すべきものが少なくないが,検証なしに認めることはできない。本図と同巧の意匠をもつものに,旧松永記念館所蔵の雪笹図芦屋真形釜がある。その意匠は「四季竹図」と同じく,竹に春の野草,筍,蔦,雪を配して四季を象徴している。そして,この釜には土佐光信筆とされる下絵が付属している。同じ内容をもつ芦屋釜下絵図巻は東京国立博物館と土佐家資料中にあるが,釜に付属しているものが原本と目される。こうした点から,「四季竹図」屏風は土佐家のモチーフを伝えるものと考えてよいようである。その制作年代の判断には困難をともなうが,次に述べる土佐光茂の屏風絵と比較すると,画面が閉散としており,光信の画風に通ずると8.硯破草紙絵巻(某家)明応四年(1495)9.石山寺縁起絵巻第四巻(石山寺)明応四年(1495)10.鼠草紙絵巻(フォッグ美術館)12.十王図(浮福寺)延徳元,二年(1489,90) 13.四季竹図(メトロポリタン美術館)82

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