3つ山形に重ね合わせた奇妙な形象である。右下隅のものには,聖アグリコールの持られた自分の姿を立ち合わせる—すなわち,プルボン祭壇画のような構想の絵をモからして,聖グレゴリウスのミサの図像を下敷きにして,そこに聖アグリコールに護ンタニャックが描かせた可能性は,極めて強いと言ってよい。また,プルボン祭壇画がヨハネ福音書を霊感源としていることは先述した通りであるが,この福音書家がジャン・ド・モンタニャックの同名聖人であることも無視し得ない。寄進者というのは,たしかに自分の同名聖人を守護者,あるいは執成役に選ぶことが多い。しかしモンタニャックは,遺言で聖アグリコールを執成役に選んだ。それは,彼が聖アグリコール教会の参事会員であり,この絵をおそらく聖アグリコール教会の主祭壇の裏に自ら築かせた三位一体の祭壇に飾ろうと考えていたからに違いない。ブルボン祭壇画は,寄護聖人福音書家ヨハネに対する信仰がその文学的典拠によって黙示され,また聖アグリコールに対する信仰が執り成し役としての画中の聖人像によって顕示されるという,補完的な二重の意味によってまさにモンタニャックの期待に応え得るものであったのではないか。そればかりではない。『聖母戴冠』とプルボン祭壇画の両方に影響を与えている,フィレンツェ公会議の三位一体の新解釈,とりわけ父と子の同一性の観念は,そもそもヨハネ福音書の15章〜16章で展開されていた内容であり,したがってモンタニャックは『聖母戴冠』においてすでにヨハネ福音書に対する自らの関心の一端を明らかにしていたことになり,そしてプルボン祭壇画において,聖グレゴリウスのミサの図像をかりて,そのことを前面に打ち出したと考えられるのである。プルボン祭壇画で最も謎めいた部分は,画中のニヶ所に登場する,凸型の半弧形を物であるコウノトリが立っている。半弧形を山(Montagne)に見立てて,これを聖アグリコール教会参事会員モンタニャック(Montagnac)のエンブレムとする説が出されているが,これについてもやはりゼカリヤ書の14章4-5節,「その日には,彼〔主〕の足が東の方エルサレムの前にあるオリヴ山(montagne)の上に立つ。そして,オリヴ山は非常に広い一つの谷によって,東から西に二つに裂け,その山の半ばは北に半ばは南に移り,わが山の谷はふさがれる,裂けた山の谷がそのかたわらに接触するからである」に典拠が見出される。以上のように,ブルボン祭壇画はそのすべての点において,寄進者がモンタニャックであることをはっきりと物語っているのである。-88 -
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