19の21)」の二主題を含み,上段に天の軍勢,下段に獣と偽預言者,地の王が描かれて9-10)の場合に,下段に天使とヨハネを配し,上段に幻視イメージを描くという形式V (Apocl5の1-7)では,上段に,Fol,19Vの場合「7つのラッパを吹〈用意するの5-7)」下段に「ガラスの海のそばで神の立琴を手にする人々(Apoc.15の2-4)」おり,上段から下段に向けて槍が突きおろされ,剣が振りおろされている。fol.34V,「山上の垂訓」,fol.136r「パンと魚の奇跡」fol.231V「ラザロの復活」,fol.234V「イエルサレム入城」において,土砂などの仕切り線にかかわらず,上段に描かれたイメージヘの指向が認められる。常に上段にキリストが描かれ,下段には副次的な人物や群集が描かれており,「イエルサレム入城」の場合には本来道に敷かれたように描かれるべき衣が,上段に描かれたロバの足元に向けて振り上げられる形になっている。「バンベルクの黙示録」挿絵では,fol.13V(Apoc 5の6-8), fol.18V (Apoc 7のをとる。ここでの下段から上段への指向は,もっぱら天使とヨハネの,視線や手振りによるパントマイム的要素に負っている。ところがfol.19V(Apoc. 8の3-6)とfol,38 7人の天使(Apoc.8の6)」,下段に「地に香炉を投げつける天使(Apoc8の3-5)」が描かれており,またfol.38Vの場合,上段に「苦しみの鉢を手にする天使(Apoc.15が描かれている。つまり,テキストの時間的配列からすれば,後述のテーマが上段に描かれていることになる。こうしてみると,(1)の場合にも(2)の場合にも画面上段は位階のより上位に属する図像モティフに当てられている。統一画面成立へ向けて,いわば暫定的な解決法として,一段構成による空間処理にヒエラルヒーの論理が持ち込まれていたと言えそうである。この結果は,さらに金地の使用についての検討を促した。(C) 金地の使用について先に言及したfol.13Vと18Vの場合には,上段の幻視イメージに対してのみ金地が用いられているが,金地に関してはヒエラルヒーの論理が適用されたとは言えない。金地は,土砂やニュアンスのつけられた緑の色面などが登場人物の置かれた水平面を暗示するため,見せかけ上,登場人物や他の図像モティフの背後に,つまり画面枠に対して平行に後退しているように見える(例外fol.4 V)。前述のfol.19Vと38Vでは下二段にこのような方法で金地が用いられ,その結果,空間が無機質的な均一の色面(2)下段から上段への指向性が見られる例:「オットーIII世の福音書」挿絵の場合,-91-
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