鹿島美術研究 年報第3号
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高村光太郎2通木篤哉柳志賀① 富本憲吉書簡これらの日記は南自身の重要な伝記資料であると同時に当時の美術状況,社会状況を教えてくれる貴重な資料といえる。〈富本憲治・高村光太郎・白樺関連書簡〉阻多しい南煎造宛書簡のうち明治末から大正初期にかけての美術状況及び「白樺」周辺の状況を物語る資料として,今回は特に富本憲吉,高村光太郎,「白樺」同人たちのについて調査を行った。現在までに確認されたこれらの書簡は次の通りである。これらの書簡については,年代ごとに整理した後,読み下し,原稿用紙に書き起したものを,原書簡とともにファイル化した。これらの書簡の内容と,それが示唆するものについて以下に述べる。南蕉造宛書簡の中で最多のものがこの富本からのもので,明治41年から大正5年まで,9年間で68通に及んでいる。特に明治45年には1年間で25通,つまり2週間に1通の割合で書かれたことになり,驚くほどの親密さを示している。富本と南は東京美術学校以来の親友(学年は南が2年上級だがマンドリン同好会で知り合う)だが,英国留学の共通体験を通して更に交友を深めたものと思われる。日付の最も早い明治41年の書簡は,既にロンドンに滞在中の南にあてたもので,1 差出人名壬生馬武者小路正親町公和「白樺」同人(連署)有島武郎細JII 上, 石井柏敬助68通10通-102-書簡数差出日付明治41年〜大正5年明治42年〜大正元年8通明治43年〜大正3年2通明治44年〜大正4明治44年2通明治44年〜明治45年2通明治44年1通明治44年1通明治44年2通大正2〜大正3年1通大正3年

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