鹿島美術研究 年報第3号
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18年6月の例会に出品し若年ながらその驚異的な技量で注目を集めた山水図そのもの(1843■1890),狩野忠信(1864■?)はいずれも狩野系であり,芳崖・雅邦に師事し美術館とフリア美術館にほぼ同内容の楼閣山水図がある。フィラデルフィア美術館蔵の円形画面の山水図も無款ながら今回の調査によりほぼ立嶽筆と断定してよいことがわかった。立嶽は第1回鑑画会大会に戸隠山九頭龍秋景山水,第2回に山水図を出品している。第2回大会と平行して同時期に開催された旧派系を主とする第3回絵画共進会にも立嶽は出品しており,新旧両方の体質を合わせ持っていたが,少なくともボストン美術館蔵の山水2点は鑑画会の理論と極めて密接な関連を示している。また「十三歳北心斎」の落款のあるボストン美術館所蔵下村観山筆山水図は,明治である可能性があり,観山のごく初期の代表的作品としても重要なものである。このほかボストン美術館所蔵の端館紫川筆群魚図,高橋玉淵筆栗樹小禽図,岡梅浚筆草花園は,それぞれ第1回鑑画会大会出品作と題材が同じである点,注目してよい作品と思われる。以上現存する作品について述べたが,ボストン美術館のカードによると,当初はこのほかにも鑑画会関係作家の作品がかなり入っていたらしいことがわかった。残念なことにそれらは1932年と37年の2度にわたり大量に売却,廃棄,或いは新しい購入品と交換されており,その後の追跡を試みたが為し得なかった。また現存の作品についても,以前はマクリ状態の絵の裏にKangakaiと書かれたものなどもあったらしいが,今では資料も残っておらず,完全に出品作品と比定,断定することは現段階ではかなり困難な状態である。一方,鑑画会関係作家については,出自と履歴を調べた結果興味深いことが明らかとなった。鑑画会がフェノロサを中心とした活動であり,フェノロサの美術史的評価が狩野派を最重視したことからすれば,同会に狩野系の画家が多いことは頷ける。主力画家であった芳崖(1828■1888),橋本雅邦(1835■1908),木村立嶽(1825■1890)のほか,狩野友信(1843■1912),狩野勝玉(1840■1891),結城正明(1834■1904),小林水濯た下村観山(1873■1930),芳崖門下の岡倉秋水,本多天城,岡不崩,前田錦楓も同系と見てよいであろう。そして興味深いのは狩野系以外の画家で,端館紫川,高橋玉淵はいずれも四条系の川端玉章門下,渡辺省亭,三島蕉窓は菊池容斎門下,鈴木華邦は容斎門下の中島亨斎の門人であり,尾形月耕もまた容斎に私淑している。また高橋應-108-

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