れ程大きな甑酷をきたすことはないのではないかと思われるのである。それは,質感表現と空間表現の関わりが,両者に共通するところが大きく,本質的な表現意図は同じではないかと考えられるからである。そこで空間表現と質感表現を上記作品について見てゆくと,苑寛の作品は何といってもその圧倒的な量感表現と緻密な質感描写に特色がある。画面の三分の二以上を占める主山の塊量表現がこの絵のメイン・テーマであろう。しかしながら主山の麓の姻雲表現,中景から近景へと切れ目なく続く景観には主山までの巨大な空間が表出されているのである。それに対し郭煕の作品は,主山そのものの塊量表現よりも近景から遠景へと連続して続〈広大な空間の表現が主体であろう。それは互いに緊密な関係をもって配置された景物と,みごとな墨調のグラデーションの遠近表現によって達成されている。その中で,質感表現は副次的な働きではあるが,近景の岩塊,遠景の平遠部,瀑布付近の岩場等の要所要所を引き締める役割を果している。これら二点の作品には,空間表現と質感表現のどちらに,より重点があるかという相違点をもちつつも,景物の配置や質感描写の疎密が広大な景観を描くために作用している,という共通の特質を見ることができる。それに対し南宋期の絵画の代表する作例では,岩々の微妙な起伏・肌合いを表現していた跛が,明確な筆致の面を形成するようになる。画面内の景観は広大ではなくなり,自然景の一角を捉えるものとなって,描写される空間のスケールが小さくなる。視点が接近して細かになるはずの質感描写が,面形成に転ずることにより逆に大雑把なものとなる。余白を増大させて空間の奥行を得ようとするが,墨調が単純になって段階的な奥行表現が崩れ,かえって近景とこのように南宋画においては,自然景の一角にかなりの遠表現を得ようとするのだが,余白に依存しすぎてかえって白地の遮蔽面を作り,奥行感をなくしてしまうのである。すなわち触覚的な空間表現主体の北宋画に対し,南宋画は視覚的な画面構成主体の絵画へと転換するといってよかろう。このような状況の中に李唐の「万堅松風図」と高桐院本「山水図」を置いて見ると,両者共北宋画と南宋画の中間的特質を示すことが分かる。すなわち画面構成では,主山を正面に据え画面一杯に描くこと,堅固な質感描写に腐心していること,がそれであり,北宋的な性格を見てとれる。これは高桐院本においても二幅一対の離合形式と見れば,程度の差こそあれ同じ構図形式と考えられるのである。また,二作品共斧勢という平面的な構成に向かってしまう。-115-
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