鹿島美術研究 年報第3号
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青年時代より玉洲と親交のあった同郷の野呂介石も富士山,那智山などをはじめ数多くの真景図を描いた画家である。実見し得た作品だけでも30点を超すが,玉洲1を和歌浦の画人というならば,介石は熊野の画人といえる。南画における真景図の輪廓を示す意味でここに例示すると,浦上玉堂には<富岳図>,会津磐梯山を描いた<山水図(托物起興・伏境生活)>があり,秋琴にも<磐梯山真景図>,春琴には<糸し林餞別図><嵐山桜花図><高尾観楓図>がある。青木風夜<富岳紅葉図><柳浪浮岳図><富岳寒林図>,岡田米山人<箕面滝図><居宅図><不二図>,半江<淀川舟遊図>,長町竹石<讃州十六勝画帖>,頼山陽<耶馬深山水図巻><金剛山湊川真景図><尾道舟遊図>,貫名海屋<永源寺真景図><高尾社頭図><芙蓉峰図><稲川舟遊図>などがあげられる。田能村竹田の真景作品は,<稲川舟遊図><願行寺真景図><雲泉岳図巻><漢江法舟図><不尽嶺残雪図><吹田邦養病図>,門下の高橋草坪にはく猪名川至神崎寛景>があり,帆足杏雨にく耶馬淫図巻>,木下逸雲にも<耶馬深図巻>かある。尾張の南画家は,嘉言の系譜を引いた中林竹洞のく神州奇観図><富岳図><寒林積雪図><笠置山図><嵐山春色図>があり,山本梅逸にも富岳図の他<嵐山雪景図><嵐山春景図><石山真景図><布引瀑布図><淀川曳船図>,また春琴,竹洞,梅逸,小田海倦の合作に成る<鴨水十五景画冊>のような作品も存在する。関東の南画における真景図は,谷文晟に代表されるといってよいだろう。文麗の作風は,狩野派,南頻系の写生画,西洋画など諸流が混清して作域が広いが,真景図は<公余探勝図巻>にみられるように,西洋画の影縛が濃厚にみられる場合が多い。実景への関心と遠近法的視覚が表裏一体となり,数多くの真景図を描いた。江戸,武相地方の真景図には,明治初期風景画の主題の先駆をなすものがある。文馳の真景図は,<那智真景図><熊野舟行図巻><京都名所画帖><富岳図><江之嶋図><隅田川・鴻之台真景図><隅田川両岸図><相州名画冊><武蔵野図><常州袋田滝勝景図><勿来関><松島図><彦山真景図>等々,真景のレパートリーは,大雅を上回るほど広い。那智滝や富士,松島などの図には,墨の濃淡と筆勢を生かした純南宗の作品が見られる。山楼系の画家の真景図は,渡辺華山<四州真景図><富峰衆雨図>,高久摘厘<袋田滝真景図><松図><大貫浜図><喜連川真景図><浅間夕照図><鳴門清暁図>,椿椿山く久能山立原杏所<袋田真景図><向ヶ商図屏風><那珂湊123

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