鹿島美術研究 年報第3号
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のではないが,相補いつつ包括することはできる。各項目は相互に矛盾するものではなく,各項目が重なり合いつつひとつの項目だけでは微妙にはみだすという,むしろそのあり方に真景図の特色があるように思われる。伝古する南画作品全体の中で,具体的に地名を指示する作品は限られているとしても,実景によって得られた自然体験は,他の山水図を描く場合にも深い関連をもつと考えられる。真景の問題を当時の南画家の画論にみると,玉洲の「絵事郡言」は真景論そのものである。董其昌の南北二宗論を受継ぎ,大雅を価値のモデルとして南宗論を展開するが,「是深ク真景ヲ熟覧シ気韻ヲ以テ象形ヲ覚メタル所ナリ」として,真景の観察を価値判断の基本に置いている。介石の画論(「介石画話」「鳴傲帖画賛」)は真山水論である。古法を参照し,造化を師として,画法は山水の真趣に学ぶべしというのがその骨子であり,事実介石は熊野においてそれを実践した。「竹洞画論」は,「学画必写生を為べき事也,物の勢を見るには,造物にしくはなし」といい,一方で「真山多くはそのままにて画図に入る物すくなし」として,景物の取捨選択を説く。文麗が船津文淵に与えた画訓では,学画は古人の作品を模倣して古画の趣意を学び,その後「事々物々形象に求め」,形象の意を会得したのちは写生を破り一家を成すべしという。華山は椿山宛書簡で「山水空疎」を論じて,人物花禽晶魚は「古今皆写真」であり,山水も昔はその通りで,具体的な事物に基いた法則の必要を主張している。椿山もまた「画道において写生的実より外画の師なし。其真理を窮めて而後妙手なり」という。これらの画論は,いずれも具体的な事物(=俗論を背景としていることを忘れてはならない。玉洲,介石のような正統的南宗派だけでなく,「写生切近なれば俗套に陥り候」(華山),「唯写生に雅俗あり」(椿山)というように,洋風画の洗礼を受けた江戸の南画においても例外ではない。脱俗,去俗が価値の基準とされるのである。南画では,絵画表現の目標は「伝神」にあるとする中国の絵画観を受継ぎ,模倣や自然のコピーを否定し,形似を超えたところにそれを求めた。だが,絵画は形象によって表現されなければならない。この矛盾したあり方は,写意によって止揚されると南画家たちは考えた。写意は放恣な主観の表出を意味するものではなく,古法(中宗元画)を学び,造化を師とし,旅や読書による人格修養を前提とする。古人が自然に学んだ画法を創出したその意を学ぶべきだという一種の規範性と直接的な自然体験に基くことを説くが,同時に雅125

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