(l0 京都洋画壇におけるフランスアカデミズムの移入と展開ー鹿子木孟郎を中心として一を重視し,そこで得た自由な精神を理想とする。人格と形象を媒介するのは,筆熟という概念で,筆熟は古法と自然に学ぶことによって得られる。人格を反映した自在な筆法である。南画における山水図は,主客合ーした理想境のイメージを表現するものであり,したがってその表現の世界は,写実的であるより,象徴的であるとされる。真景図は,基本的にこの枠組みを破るものではない。名勝図が多く描かれたのはそのためであり,では,画家のイメージにしたがって,実景が改変される。真景図は様々なヴァリエーションを生んだが,南画家たちによって理想化された日本の景物であった。玉洲の真景論を端的に換言すれば,日本人の胸中の立堅は日本の自然でなければならないということであろう。伊藤蘭隅に学んだ介石の真山水論は,古義学の原典主義に通じるように思える。真景論は,中国の影縛下に成立した日本の南画が,独自性を獲得するための論理を内包している。大局的に見れば,山水図は風景画へ展開するといえるであろうが,南画の真景図はそのヴァリエーションにおいて,近代の写実的風景画の先縦をなすものもみられるが,原理的には,日本の南画の山水図一般に通底するものと思われ,近代の富岡鉄斎や小杉放庵,小川芋銭,平福石穂,村上華岳らに通じる伝統を形成する点にその意味を見出すのが妥当であると思われる。本報告は,真景図及び真景論に関する素描にとどまった。真景の問題は,個々の作品と作家,さらにその文化的背景とともに精密に考察されなければならない。他日を期したい。(中間報告)研究代表者:京都国立近代美術館主任研究官島田康寛調査研究の目的:明治37年に京都に移住した鹿子木孟郎(1874■1941)がもたらしたジャン・ポール・ローランス系のフランス・アカデミズムは,関西美術学院,アカデミー鹿子木における後進の育成によって日本に根付くかに見えたが,大正以後のヨーロッパ美術の新思潮の導入によって,次第に美術界の片隅に追いやられていった。しかし,西欧的なリアリズムの伝統を持たなかった日本において,フランス・アカデミズムの習得は重要同上研究員加藤類子-126-
元のページ ../index.html#144