鹿島美術研究 年報第3号
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4世紀初頭の「教会の勝利」以降の教会堂装飾のうち,とくにローマの諸教会堂ア研究報プシス壁画のモザイクについては,「トラディティオ・レギス」図を中心に,1950年代後半から70年代にかけて多くの研究者の一連の論文が発表されて,論議が出尽した感がある。しかしサン・ビエトロ・イン・ヴァティカノ,サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ・,サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ等のローマの4世紀の大教会群の当初のアプシス壁画は勿論現存せず,それに関する直接の資料も皆無に等しいため,初期キリスト教美術のアプシス・プログラムの発生と展開に最終的な結論は未だ出ていない。360■70年代の石棺浮彫にもっとも年代の早い作例が知られているトラディティオ・レギス図が4世紀のアプシス・プログラムの最初の図像ないしはその原型であった点は,大方の研究者の認めるところである。しかしそれを直ちにもっと新しい図像へと変貌せざるを得なかったことは,5世紀のローマのサンタ・プデンツィアーナ教会やサンタンドレア・イン・カタバルバウのアプシス図から理解される。4世紀から5■ 6世紀へと,キリスト像を中心にペテロ,パウロ,またその他の殉教聖者たちを組合わせて展開するローマのアプシス壁画プログラムには,一貫した流れがある。サンタ・プデンツィアーナ(5世紀初頭),サンティ・コスマ・エ・ダミアーノ(520年代),サンタニエーセ・フォリ・レ・ムーラ(7世紀初頭),ラテラノ大聖堂内サン・ヴェナンツィオ礼拝堂(7世紀),サン・テオドーロ(7世紀)などの諸教会堂の現存作例から充分明らかである。こうしたローマのアプシス・プログラムを論ずる際,ラヴェンナ/ミラノ,ナポリ,テッサロニキ(ギリシア)/,ポレッチ(ユーゴ)等に残る5■6世紀の教会堂モザイク壁画も貴重な資料となる。そうした中でサンティ・コスマ・エ・ダミアーノ教会の例が,4■6世紀のアプシス図展開のひとつの完成された図像を示して,我々の研究の出発点となる。キリストとペテロ,パウロ両使徒との関係はもはや「トラディティオ・レギス図」ではないが,アプシス壁面上部の人像グループと,下部の神の小羊及び羊たちのグループとによる構成の二重性,他の諸細部モチーフによる情景設定そのものは,あくまでもトラディティオ・レギス図の伝統のうちにある。そしてここに背景描写として二重の,しかも自然主義的及び抽象的な異った描法の風景が認められる。人像グループ中のヨルダン河に潤された花々の咲く自然と,羊たちの行列のための天国の四本の河を伴った緑の帯という抽象的な自然である。こうした二重の風景描写は構図の二重性と深く関わる。-137

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