鹿島美術研究 年報第3号
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(b) 外科医と床屋医者手や患者の子供)が描きこまれていることもあるが,大半の作例では登場人物は一人のみである。患者の性別について言えば,老若を問わず,男性は全く見られず,女性ばかりであり,それも若く美しい患者は極めて例外的であって,多くは老婆もしくは中年の女性である。(ii) 医師の往診舞台は美しく整えられた中・上流市民の家の一室。患者は元気のない姿態で椅に腰を下ろしているか,ベッドに身を横たえているかのいずれかである。医師は大半の場合中年以上の男性であり,普通は診断の最中の場面がとりあげられている。診断はR脈博の測定,R尿の透視,の二種類で,時にはこの二つが同時に行なわれている。患者は男性の老人の場合もあるが,圧倒的多数は若く美しい娘,もしくは人妻であり,年老いた女性や若い男性が描かれた例はまず無い。患者の病気はほとんどすべての場合において恋患い,もしくは夫以外の男性による妊娠であり,これはキューピッドの小彫像や画中画,更には露骨に男性と女性を象徴する副次的モティーフの活用によって暗示されていることか多い。医師の表情は皮肉な微笑を浮かべたものから深刻なものに至るまで多様であるが,場面全体の基調は,死の影につきまとわれた(i)の類型とは異なって常に喜劇的であり,また実際,17世紀に流行したコメディア・デ・ラルテ(イタリア喜劇)やその影靱を強く受けたオランダの演劇における「医師=博士」(doctore)の登場場面と少なからぬ関連をもっていると考えられる。医師と患者以外の人物としては,多くの場合女中が描き込まれており,年令は様々だが,女主人の病気の真因を承知の訳知りの存在として登場している。この他恋人らしき若い男や悪戯っ子などが描き込まれる場合もあり,人物構成は変化に富むが,ここではこれ以上詳しく触れられない。舞台は医師の仕事場であるが,大半の場合は整頓された小綺麗な都市の仕事場ではなく,むしろ乱雑で薄汚ない田舎のそれであり,登場人物の服装も都市よりは農村を指し示している。描かれているのは,魚の目,もしくは背中,手足,頭部のはれものに悩まされる患者に対する小手術の光景で,手足の切断,帝王切開といった大規模で危険な手術を扱った例はない。多くの場合巡回専門医に任されていた底蒻や結石の手術も風俗画の対象からは外されている。当時最も頻繁に実施されていた-144-

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