鹿島美術研究 年報第3号
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(b) 娼家での合奏音楽には元来「聖」と「俗」の両極に通じる本質が備わっている。天使たちの奏楽とは対照的な娼家の情景にも合奏がつきものなのは,官能に強く訴える音楽の特質からも難なく理解される。登場する楽器としては圧倒的にリュードが多い。ただ娼家における奏楽はあくまで一要素であり,飲酒やカード遊びなどの他の諸要素とともに総合的に考察されねばならないであろう。なお,娼家とは異なるが,村の居酒屋での農民の集いの描写においても奏楽は非常にしばしばー要素をなしており,この場合にはヴァイオリンが弾かれていることが多い。(c) 恋人たちの合奏中・上流市民の家の室内を舞台にしたものが多数を占める。合奏といっても,男と女の双方が楽器を弾いているとは限らず,むしろ一方が唄を歌っている場合が多い。また_これは本当は合奏とは呼べないが_女性が楽器を奏し,男性は傍でそれに耳を傾けている例も多く数えられる。このほか,楽器を手にしつつ女を口説く男もよく見られる。恋人たちの情景は当時の風俗画における主要な分野だけに変化に富んでいるが,こうした場に描かれる楽器としてはリュートとヴィオラ・ダ・ガンバが中心であって,ヴァイオリンは少なく,管楽器はほとんど登場しない。(d) 音楽のレッスン音楽家は通常服,マント,つば広帽とすべて黒づくめの身なりをし,生徒の家のレッスンをしている。生徒は若く美しい女性に限られているが,第三者としてもう一人若い男が加わることもある。生徒の弾く楽器はチェンバロかリュートで,この場合にもヴァイオリン,管弦器は登場しない。生徒がチェンバロを弾く傍らで教師である音楽家がリュートで合わせつつ奏法や楽想を指示していることもある。若い一組のカップルに音楽家が加わる場合には,音楽家は手を振りあげて拍子をとっていることが多い。こうした例においては音楽家はあくまで第三者であるが,一対一の関係にある教師と生徒の場合には両者の恋愛関係が暗示されていることも多い。このため前項の恋人たちと重なりあい,区別の難しい状況もしばしば描かれている。一つの目安としては,女性のチェンバロに男のリュートという組み合わせがあれば,それはレッスンの光景と見なしうるであろう。現実にはこの二つの楽器による合奏はまず存在しないからである。ただし,音楽家が常に黒衣をまとっていたか否かが今の段階では不明なために,そうした状況においても,男が音楽を生業す-147

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